昨日、太田光(勝手に通称ぴかりとする)のエッセイを読んでいて、とても痛かったところがある。

司馬遼太郎氏の奥様は文章家として司馬遼太郎より優秀であったのに、夫のために自分は身を引いて生涯裏方に徹したという。
そしてぴかり奥様もやはり、演者としては自分=ぴかりよりは優れていたのに、今は身を引いてピカリのマネージメントという裏方に徹してくれている、と。

私も夫と出会った時は同じ夢を追う同志だった(と思っていた)。
だから結婚も、同志二人が手をつないで一つの夢に向かって歩き出した、という感覚だった、私は。
しかし夫は違った。
結婚するや否や、私にはその道から外れることを要求してきたのだ。
妻には自分と同じ世界では働いて欲しくない、と。
夫はただ、自分の働く世界を知ってる女だから、自分がたとえ一般的には非常識と思われるような行動をとっても理解してくれるだろう、と思っただけのようだった。
私は夫がその世界で立派な仕事をするために自分は「家を守る」とかの裏方に徹するなんてことは考えられなかったから、ものすごくショックだった。
それはトラウマとなって今でも心に深く傷を残していると思う。
彼が手をついて私に詫びてくれない限り、私はこの恨みをあの世まで持っていくと思う。

夫のために自分は裏方に徹する、というのは、夫の才能を信じていればこそ、だ。
私が「イタイなー」と思ったのは「それを恨みに思うとは、お前は夫を信じていないのか、愛していないのか」と詰め寄られたような感じがしたからだ。

でも、反面、思う。
妻が裏方に徹することができるのは、そういう妻に対する感謝と敬意が夫にもあるからだろう、と。
「お前は妻なんだからそれで当たり前だ」じゃなくて。
「僕のために自分を犠牲にしてくれてありがとう」というような。

そういうものって、たとえば日常のどんな態度や言葉で表されるものなんだろう。
私は夫からそういうものを感じたことがない。
それは、感じられない私の問題なのか。
それとも感じさせない夫の問題なのか。

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