エンジェルエンジェルエンジェル
2004年9月26日 読書
ISBN:487599074X 単行本 梨木 香歩 原生林 1996/04 ¥1,260
寝たきりになっちゃったおばあちゃん。
心が女学生だったころに戻って、憧れだったコウちゃんと日々をすごす。
現実のコウちゃんは、ちょっと心が疲れている孫。
孫のコウちゃんの目で語られるときには現代文、女学生にもどったおばあちゃんの目で語られるときには歴史的仮名使いのちょっと古い文章で。
心は歳をとらないんだよねえ・・・。
切ない。
でも、歳をとってこんな風に心が子どもに戻っていくのは、悪いことじゃないと思う。
胃ガンから肝臓に転移した父は、最期の3ヶ月ぐらい、夢うつつの中にいた。医者によれば「肝性昏睡」という、一種の錯乱状態だということだったが・・。
昼夜が逆転して、真夜中に母を起こしては子どもの頃のこと、とりわけ早くに亡くなってしまった母親のことを楽しそうに、とめどなく、話したそうだ。
母は「私との思い出話なんて一つも出なかった」と泣いていた。私も、入院を知らされて駆けつけたとき、私のことがわからずに娘に敬語を使う父の目が悲しかったのは忘れられない。
でも父は自分の人生の最後に、忘れていた楽しかったことや大好きだったお母さんのことをたくさん思い出せて幸せだっただろうと思う。
詩を書く父に倣って文章を書くことの好きな母は、父が亡くなった後に書いた文章で「お義母さん、○○さん(父の名前)をお返しします」と書いた。
父の最期は、肺機能の低下による呼吸不全、とでもいおうか。
痛みは最後までなかったが、日に日に身体が酸素を取り込めなくなっていった。
酸素マスクを嫌がって自分で外してしまうのだが、外してしまうとものの10秒ぐらいで苦しくなってくる。
そうなったときに自力でマスクを戻せなくなっていたので、目が離せなかった。
もう水も飲むことが出来なくて、入れ歯もはずされた口はカラカラで、話しかけられても何を言っているのか聞き取れなかったし幻覚も見ていたようだったが、「水が飲みたい」という意思表示だけははっきりしていた。
看護士さんに言っても、脱脂綿に含ませた水をくちびるに塗る程度のことしかしてもらえないので、ある時弟と二人で、コップで水を飲ませた。
一口目はうまく飲めたのだが、二口目でむせてしまった。むせてしまってももう自力で咳も出来ないので、結局看護士さんのお世話になることになった。
それが亡くなる前日のことだ。
弟は「あれが命を縮めたのではないか」と今だに気にしているが、たとえそうだったとしても、もういいじゃないかと思う。
父はゴクゴクと水が飲みたかったに違いないのだ。
あのまま、水を飲まずに数日を永らえるより、あのときに一口でもゴクリ、と水を飲むことができて、よかったと私は思っている。
父の最期の3日間を、片時も離れずにいた。
人が死ぬ、ということを、しっかり見せてもらって、自分もいつかくるであろう最期に対して、覚悟ができたように思う。
もうすぐ3回忌だ。
一昨年の今頃は、休みのたびに東京に飛んでってたなあ・・・。
寝たきりになっちゃったおばあちゃん。
心が女学生だったころに戻って、憧れだったコウちゃんと日々をすごす。
現実のコウちゃんは、ちょっと心が疲れている孫。
孫のコウちゃんの目で語られるときには現代文、女学生にもどったおばあちゃんの目で語られるときには歴史的仮名使いのちょっと古い文章で。
心は歳をとらないんだよねえ・・・。
切ない。
でも、歳をとってこんな風に心が子どもに戻っていくのは、悪いことじゃないと思う。
胃ガンから肝臓に転移した父は、最期の3ヶ月ぐらい、夢うつつの中にいた。医者によれば「肝性昏睡」という、一種の錯乱状態だということだったが・・。
昼夜が逆転して、真夜中に母を起こしては子どもの頃のこと、とりわけ早くに亡くなってしまった母親のことを楽しそうに、とめどなく、話したそうだ。
母は「私との思い出話なんて一つも出なかった」と泣いていた。私も、入院を知らされて駆けつけたとき、私のことがわからずに娘に敬語を使う父の目が悲しかったのは忘れられない。
でも父は自分の人生の最後に、忘れていた楽しかったことや大好きだったお母さんのことをたくさん思い出せて幸せだっただろうと思う。
詩を書く父に倣って文章を書くことの好きな母は、父が亡くなった後に書いた文章で「お義母さん、○○さん(父の名前)をお返しします」と書いた。
父の最期は、肺機能の低下による呼吸不全、とでもいおうか。
痛みは最後までなかったが、日に日に身体が酸素を取り込めなくなっていった。
酸素マスクを嫌がって自分で外してしまうのだが、外してしまうとものの10秒ぐらいで苦しくなってくる。
そうなったときに自力でマスクを戻せなくなっていたので、目が離せなかった。
もう水も飲むことが出来なくて、入れ歯もはずされた口はカラカラで、話しかけられても何を言っているのか聞き取れなかったし幻覚も見ていたようだったが、「水が飲みたい」という意思表示だけははっきりしていた。
看護士さんに言っても、脱脂綿に含ませた水をくちびるに塗る程度のことしかしてもらえないので、ある時弟と二人で、コップで水を飲ませた。
一口目はうまく飲めたのだが、二口目でむせてしまった。むせてしまってももう自力で咳も出来ないので、結局看護士さんのお世話になることになった。
それが亡くなる前日のことだ。
弟は「あれが命を縮めたのではないか」と今だに気にしているが、たとえそうだったとしても、もういいじゃないかと思う。
父はゴクゴクと水が飲みたかったに違いないのだ。
あのまま、水を飲まずに数日を永らえるより、あのときに一口でもゴクリ、と水を飲むことができて、よかったと私は思っている。
父の最期の3日間を、片時も離れずにいた。
人が死ぬ、ということを、しっかり見せてもらって、自分もいつかくるであろう最期に対して、覚悟ができたように思う。
もうすぐ3回忌だ。
一昨年の今頃は、休みのたびに東京に飛んでってたなあ・・・。
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