仕事から帰ってきた夫が“いそいそ”といった風情で取り出したのは、この間仕事で行った先の窯元で作ったという茶碗。
ここ数ヶ月、ときどき行くことがあって、初めて行ったときにも「ろくろ回さしてもらえたんや〜」とご機嫌だった。
1週間後に焼きあがって送られてきた「作品」はとても“茶碗”とは言えない、一つは“どんぶりの蓋”状のもの、もう一つは“でっかい湯呑み”状のもので、申し訳ないが涙が出るほど笑わせてもらった。
今回は、いわばそのときの雪辱戦ともいうべき気持ちがあったようで、気合が入っていただけになかなかいい感じに出来上がっている。
そして、二つ取り出したひとつを「これはあんたに作ったんや。ええやろ、ええやろ」と言う。
自分用に作ったものより少し小ぶりで、形も丸みがあって、色は窯元さんがつけてくれたらしいが「女房に」と言ってあったのだろうと思われる白っぽいきれいな色がかかっていて、いかにも「女性用」な感じの優しい出来上がりだ。
あー、なんか嬉しい。
こういうプレゼントは、正真正銘初めてだよね。
多分、特別な思い入れとかではなくて、とりあえず自分のを作るるとしてもうひとつは誰のを、となると私ぐらいしか思いつかなかったんだろうけど。
でも、とりあえずそれでも、「あいつの茶碗を」と思いながらろくろを回してくれたんだと思うと、その気持ちがすごくうれしい。不器用なダンナが、私のために「女が使うものだから」と思って一生懸命こんなやわらかい形を作ってくれたのかと思うと、ほんとに嬉しい。
それで、この歳になってやっと実感したことは、人にモノを贈る、というのは「気持ちを贈る」ということなんだなあ、ということ。
「あの人に」と思うこと、それが肝心なんだなあ、ということ。
だから頂くほうも、モノを受け取るというより気持ちを受け取る、という気持ちでいなくちゃいけないんだなあ、ということ。
それを実感したのは、恥ずかしながら生まれて初めてのような気がする。
ありがとう。
大事に使うね。
ここ数ヶ月、ときどき行くことがあって、初めて行ったときにも「ろくろ回さしてもらえたんや〜」とご機嫌だった。
1週間後に焼きあがって送られてきた「作品」はとても“茶碗”とは言えない、一つは“どんぶりの蓋”状のもの、もう一つは“でっかい湯呑み”状のもので、申し訳ないが涙が出るほど笑わせてもらった。
今回は、いわばそのときの雪辱戦ともいうべき気持ちがあったようで、気合が入っていただけになかなかいい感じに出来上がっている。
そして、二つ取り出したひとつを「これはあんたに作ったんや。ええやろ、ええやろ」と言う。
自分用に作ったものより少し小ぶりで、形も丸みがあって、色は窯元さんがつけてくれたらしいが「女房に」と言ってあったのだろうと思われる白っぽいきれいな色がかかっていて、いかにも「女性用」な感じの優しい出来上がりだ。
あー、なんか嬉しい。
こういうプレゼントは、正真正銘初めてだよね。
多分、特別な思い入れとかではなくて、とりあえず自分のを作るるとしてもうひとつは誰のを、となると私ぐらいしか思いつかなかったんだろうけど。
でも、とりあえずそれでも、「あいつの茶碗を」と思いながらろくろを回してくれたんだと思うと、その気持ちがすごくうれしい。不器用なダンナが、私のために「女が使うものだから」と思って一生懸命こんなやわらかい形を作ってくれたのかと思うと、ほんとに嬉しい。
それで、この歳になってやっと実感したことは、人にモノを贈る、というのは「気持ちを贈る」ということなんだなあ、ということ。
「あの人に」と思うこと、それが肝心なんだなあ、ということ。
だから頂くほうも、モノを受け取るというより気持ちを受け取る、という気持ちでいなくちゃいけないんだなあ、ということ。
それを実感したのは、恥ずかしながら生まれて初めてのような気がする。
ありがとう。
大事に使うね。
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