嬉しかったはたった半時 byお光
2004年10月17日 演劇
大阪松竹座 十月大歌舞伎 昼の部
・「新版歌祭文 野崎村」
・舞踊「橋弁慶」・「お祭り」
・「狐狸狐狸(こりこり)ばなし」
私の脳裏には、心底かわいらしかった勘九郎のお光が焼きついている。今回、その息子、勘太郎はどんなお光を見せてくれるのか。
番付で記憶に残る公演がいつのものだったか観てみると
*昭和54年 国立劇場
お光・中村勘九郎 久作・中村勘三郎 久松・澤村藤十郎 お染・坂東玉三郎
これだ!忘れようにも忘れられないこの、ベスト・キャスト。
昭和54年!!25年前!!!そんなに昔だったとは・・・。
ずんぐりしていかにも「田舎娘」だった勘九郎・お光に比べれば、たっぱがあって腰高な現代っ子勘太郎のお光は垢抜けて美しい。だから町の大店のお嬢・お染が現れてその美しさに愕然とする女心、という部分についてはもう一つな感があったが・・・。
25年前の私には、とにかくこの滑り出しの「幸せの絶頂から突き落とされるお光の悲哀」が強烈で、話の結末の方はあまりはっきり憶えていなかった。
それは実は、その時点での私の経験がそこまでだった、ということだったのだ、ということを知った今日。
髪を下ろして尼になって身を引いたお光が最後、父親・久作と二人だけになると父にすがりついて号泣する。
私も涙が止まらなかった。
こんなに悲しい結末だったんだ。この作品は歌舞伎の外題の中でも一番好きだと思っていたのに、全然知らなかったよ。
「道理じゃ、道理じゃ」と娘と一緒に泣く父親の親心と、美しい町娘に精一杯のプライドで立ち向かったお光の女心と、その両方が迫ってきてもうボロボロ。
ラスト、土手から二人を見送るところから父親にすがり付いて泣くまでの勘太郎くんのたっぷりした間の取り方は父親譲りなのか、すばらしかったです。
踊り二題。軽く、楽しく。橋之助の弁慶と七之助の牛若丸はまるでお人形が動き出したようで目の保養♪
エロネタと放送禁止用語満載の下世話な喜劇「狐狸狐狸ばなし」、基は北条秀司の芝居で、面白いけどなんでこれを歌舞伎版に?という気持ちをそこはかとなく抱きながらの観劇で、もう一つ心の底から笑えない。
そして幕切れの、おきわ・扇雀が三味線を爪弾きながら「こんぴらふねふね・・」と歌う姿を観て、あぁ〜なるほど〜、と合点がいった。
これは“スター・山田五十鈴”のために作られた芝居だったのだ。
山田五十鈴を見せるために作られた芝居。
山田五十鈴を堪能するための芝居。
だから。
正直言って、もう無くなってもいい芝居だと思った。
話は単なるドタバタ。顛末も途中から透けて見えてしまうし。
エロやお笑いが過激になる一方のように見える現代だが、この作品が発表された当時よりデリケートになってる側面もあるのだ、と思う。
「バカ」「アホ」「ノータリン」そして「キ○ガイ」・・・これらの言葉が乱発される芝居を、私は無邪気に笑って観ることができなかった。
でもまあ、久々に歌舞伎を堪能できて幸せでした。
・「新版歌祭文 野崎村」
・舞踊「橋弁慶」・「お祭り」
・「狐狸狐狸(こりこり)ばなし」
私の脳裏には、心底かわいらしかった勘九郎のお光が焼きついている。今回、その息子、勘太郎はどんなお光を見せてくれるのか。
番付で記憶に残る公演がいつのものだったか観てみると
*昭和54年 国立劇場
お光・中村勘九郎 久作・中村勘三郎 久松・澤村藤十郎 お染・坂東玉三郎
これだ!忘れようにも忘れられないこの、ベスト・キャスト。
昭和54年!!25年前!!!そんなに昔だったとは・・・。
ずんぐりしていかにも「田舎娘」だった勘九郎・お光に比べれば、たっぱがあって腰高な現代っ子勘太郎のお光は垢抜けて美しい。だから町の大店のお嬢・お染が現れてその美しさに愕然とする女心、という部分についてはもう一つな感があったが・・・。
25年前の私には、とにかくこの滑り出しの「幸せの絶頂から突き落とされるお光の悲哀」が強烈で、話の結末の方はあまりはっきり憶えていなかった。
それは実は、その時点での私の経験がそこまでだった、ということだったのだ、ということを知った今日。
髪を下ろして尼になって身を引いたお光が最後、父親・久作と二人だけになると父にすがりついて号泣する。
私も涙が止まらなかった。
こんなに悲しい結末だったんだ。この作品は歌舞伎の外題の中でも一番好きだと思っていたのに、全然知らなかったよ。
「道理じゃ、道理じゃ」と娘と一緒に泣く父親の親心と、美しい町娘に精一杯のプライドで立ち向かったお光の女心と、その両方が迫ってきてもうボロボロ。
ラスト、土手から二人を見送るところから父親にすがり付いて泣くまでの勘太郎くんのたっぷりした間の取り方は父親譲りなのか、すばらしかったです。
踊り二題。軽く、楽しく。橋之助の弁慶と七之助の牛若丸はまるでお人形が動き出したようで目の保養♪
エロネタと放送禁止用語満載の下世話な喜劇「狐狸狐狸ばなし」、基は北条秀司の芝居で、面白いけどなんでこれを歌舞伎版に?という気持ちをそこはかとなく抱きながらの観劇で、もう一つ心の底から笑えない。
そして幕切れの、おきわ・扇雀が三味線を爪弾きながら「こんぴらふねふね・・」と歌う姿を観て、あぁ〜なるほど〜、と合点がいった。
これは“スター・山田五十鈴”のために作られた芝居だったのだ。
山田五十鈴を見せるために作られた芝居。
山田五十鈴を堪能するための芝居。
だから。
正直言って、もう無くなってもいい芝居だと思った。
話は単なるドタバタ。顛末も途中から透けて見えてしまうし。
エロやお笑いが過激になる一方のように見える現代だが、この作品が発表された当時よりデリケートになってる側面もあるのだ、と思う。
「バカ」「アホ」「ノータリン」そして「キ○ガイ」・・・これらの言葉が乱発される芝居を、私は無邪気に笑って観ることができなかった。
でもまあ、久々に歌舞伎を堪能できて幸せでした。
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