あけましておめでとうございます。
昨年は「災」という字がシンボルになるような激動の1年でしたが、今年はもっと優しく希望に満ちた字がシンボルとなる年になりますように。
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この年明けは、我が家にしては非常に健全に迎えることが出来ました。というのも、親戚のお葬式に来ていて雪のために家に帰ることが出来なくなった義弟が泊まりにきたので、我が家の空気が「来客モード」になったからです。
つまり、第三者の目がないと我が家はいかにだらしないか・・・ということなのですね(^_^;)。元旦の反省。
義母が待っているので早めに帰りたい、という義弟のために、早起きしてお節とお雑煮で新年をお祝いし、結果的にとても気持ちのよいお正月となりました。
さてこの元旦、本来なら「朝から初詣の後、『ハウルの動く城』を観に行く」という予定を立てていました。
が、突発的な来客のため午前中が潰れ、初詣かハウルかを選ぶことに。
そして我が家の選択は、あまり迷うことなく「ハウル」に決定しました。
あー、なんか象徴的だわー。今年もこんな風に「遊び優先」で日々が過ぎていくのかしら。
前評判がイマイチの「ハウルの動く城」。
主人公の声がキムタクっていうのにも、個人的に反発を感じつつ、始まり始まり〜。
結論としては・・・。
もう1回観たい!
まず単純に言えることは登場人物が魅力的だったということ。それは「キャストが良かった」ということに繋がると思うのですが。
このキャストについては一人づつコメントしたいくらいよかったのですが、そういうわけにもいかないのでとりあえずキムタクについて。
「声優」という職業に対して敬意を持っている私としては、ジブリ作品が「声優」の起用を避けることに、基本的に反感を持っています。
ましてや今回は「美少年だからキムタク」。
正直言って、思いっきり覚悟して行ったのですが、これはキムタクの勝ち、私の完敗でした。
ハウルはハウルでした。設定どおりの「魅惑的な美青年」。キムタクの顔は見えてこなかった。それは彼が長年「SMAPのキムタク」を演ってきているから出来たことなんだろうなあ、と。キムタクは「素」でキムタクなわけではないのですね。「SMAPのキムタク」という役割を、自覚持って引き受けてる人なんだ、と思いました。そして宮崎駿氏はそれをちゃんとわかっていたということなんでしょう。そういう人だからこそできた「ハウル」なんだと思いました。
もう一人、特記しておきたいのがマルクルの神木くん。今回のキャストの中で一番好き!もぉー、かわいい!このコについては、私は冷静ではいられないです。あの「待たれよ」を聴くためだけにもう一度観に行ってもいいくらい。基本的に子供キャラは好きではない私が、今回ばかりはメロメロにやられました。
そして肝心の中身ですが。
私にとって、ジブリ作品の魅力は「カタルシス」。悲しみがあってもそれを超えたところで完結する気持ちよさ、とでも言いましょうか。
例えば「トトロ」より「魔女の宅急便」だし、「魔女の・・」より「ナウシカ」や「ラピュタ」。
最近の作品については、「千と千尋」はアニメキャラとしてハクが魅力的だった以上の面白さは感じられなかったし、「もののけ姫」は重すぎたと感じていて、では今回のハウルは・・。
なぜこんな終わり方なの〜???
に尽きます。
夫に言わせると「時間がなくなっちゃったとしか思えない」。
でもでも、だからといって。
なんかまるで、途中からどうでもよくなっちゃったみたいな力の抜け方で。
一生懸命観てた観客に肩透かしをくらわせるような。
めでたしめでたしが悪いとは思わないけど、それまでの展開の重さとのバランスが、観てたこちらの中でどうしても取れないんですよねー。
一つの作品として「途中からどうでもよくなっちゃった」ものを世に出すことはないと思うので、きっと読み取れなかった何かがあるんだろうと思うのです。
その辺を確かめるためにも、どうしてももう一度観たい。
それとも原作を読まないとわからないのかなー。
大事なことから逃げてばかりいるハウルと、そのハウルを「心を無くしてしまった」と言うサリマンとの関係は、まるで娘と私のようだと思いました。
力ずくで気づかせようとしても無理なのであって、本人が大切なものと出会って気づかない限り、人の成長というのは促されないものなんでしょう。
ソフィーは荒地の魔女に呪いをかけられることによって、自分を縛っていた束縛からは解放されるように見えたのだけど・・・。
でも、そういう風に解釈すると、「魔女の呪い」はソフィーを救い、そのソフィーによってハウルが救われるという「救いの魔法」になってしまうし、その魔法をかけた荒地の魔女はソフィーとハウルを結びつけるキューピッドになってしまうし・・・。
そういうパラドックスがあるのかなあ・・・。
サリマンと荒地の魔女とハウルの3人の関係というのも、もう一つわからないし・・・。
あー、やっぱりもう一度観なきゃ!!
印象的だったセリフがあります。
花畑の上を飛ぶ戦闘機を見て
ソフィー:「敵?味方?」
ハウル:「どちらでも同じことさ。街や人を焼きに行くんだ」
この素朴な真理を、ブッシュ氏や小泉氏に突きつけてみたいと思いました。
昨年は「災」という字がシンボルになるような激動の1年でしたが、今年はもっと優しく希望に満ちた字がシンボルとなる年になりますように。
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この年明けは、我が家にしては非常に健全に迎えることが出来ました。というのも、親戚のお葬式に来ていて雪のために家に帰ることが出来なくなった義弟が泊まりにきたので、我が家の空気が「来客モード」になったからです。
つまり、第三者の目がないと我が家はいかにだらしないか・・・ということなのですね(^_^;)。元旦の反省。
義母が待っているので早めに帰りたい、という義弟のために、早起きしてお節とお雑煮で新年をお祝いし、結果的にとても気持ちのよいお正月となりました。
さてこの元旦、本来なら「朝から初詣の後、『ハウルの動く城』を観に行く」という予定を立てていました。
が、突発的な来客のため午前中が潰れ、初詣かハウルかを選ぶことに。
そして我が家の選択は、あまり迷うことなく「ハウル」に決定しました。
あー、なんか象徴的だわー。今年もこんな風に「遊び優先」で日々が過ぎていくのかしら。
前評判がイマイチの「ハウルの動く城」。
主人公の声がキムタクっていうのにも、個人的に反発を感じつつ、始まり始まり〜。
結論としては・・・。
もう1回観たい!
まず単純に言えることは登場人物が魅力的だったということ。それは「キャストが良かった」ということに繋がると思うのですが。
ソフィー……倍賞千恵子 ハウル……木村拓哉
荒地の魔女……美輪明宏 カルシファー……我修院達也
マルクル……神木隆之介 小姓……伊崎充則
かかしのカブ……大泉洋 国王……大塚明夫
ヒン……原田大二郎 サリマン……加藤治子
このキャストについては一人づつコメントしたいくらいよかったのですが、そういうわけにもいかないのでとりあえずキムタクについて。
「声優」という職業に対して敬意を持っている私としては、ジブリ作品が「声優」の起用を避けることに、基本的に反感を持っています。
ましてや今回は「美少年だからキムタク」。
正直言って、思いっきり覚悟して行ったのですが、これはキムタクの勝ち、私の完敗でした。
ハウルはハウルでした。設定どおりの「魅惑的な美青年」。キムタクの顔は見えてこなかった。それは彼が長年「SMAPのキムタク」を演ってきているから出来たことなんだろうなあ、と。キムタクは「素」でキムタクなわけではないのですね。「SMAPのキムタク」という役割を、自覚持って引き受けてる人なんだ、と思いました。そして宮崎駿氏はそれをちゃんとわかっていたということなんでしょう。そういう人だからこそできた「ハウル」なんだと思いました。
もう一人、特記しておきたいのがマルクルの神木くん。今回のキャストの中で一番好き!もぉー、かわいい!このコについては、私は冷静ではいられないです。あの「待たれよ」を聴くためだけにもう一度観に行ってもいいくらい。基本的に子供キャラは好きではない私が、今回ばかりはメロメロにやられました。
そして肝心の中身ですが。
私にとって、ジブリ作品の魅力は「カタルシス」。悲しみがあってもそれを超えたところで完結する気持ちよさ、とでも言いましょうか。
例えば「トトロ」より「魔女の宅急便」だし、「魔女の・・」より「ナウシカ」や「ラピュタ」。
最近の作品については、「千と千尋」はアニメキャラとしてハクが魅力的だった以上の面白さは感じられなかったし、「もののけ姫」は重すぎたと感じていて、では今回のハウルは・・。
なぜこんな終わり方なの〜???
に尽きます。
夫に言わせると「時間がなくなっちゃったとしか思えない」。
でもでも、だからといって。
なんかまるで、途中からどうでもよくなっちゃったみたいな力の抜け方で。
一生懸命観てた観客に肩透かしをくらわせるような。
めでたしめでたしが悪いとは思わないけど、それまでの展開の重さとのバランスが、観てたこちらの中でどうしても取れないんですよねー。
一つの作品として「途中からどうでもよくなっちゃった」ものを世に出すことはないと思うので、きっと読み取れなかった何かがあるんだろうと思うのです。
その辺を確かめるためにも、どうしてももう一度観たい。
それとも原作を読まないとわからないのかなー。
大事なことから逃げてばかりいるハウルと、そのハウルを「心を無くしてしまった」と言うサリマンとの関係は、まるで娘と私のようだと思いました。
力ずくで気づかせようとしても無理なのであって、本人が大切なものと出会って気づかない限り、人の成長というのは促されないものなんでしょう。
ソフィーは荒地の魔女に呪いをかけられることによって、自分を縛っていた束縛からは解放されるように見えたのだけど・・・。
でも、そういう風に解釈すると、「魔女の呪い」はソフィーを救い、そのソフィーによってハウルが救われるという「救いの魔法」になってしまうし、その魔法をかけた荒地の魔女はソフィーとハウルを結びつけるキューピッドになってしまうし・・・。
そういうパラドックスがあるのかなあ・・・。
サリマンと荒地の魔女とハウルの3人の関係というのも、もう一つわからないし・・・。
あー、やっぱりもう一度観なきゃ!!
印象的だったセリフがあります。
花畑の上を飛ぶ戦闘機を見て
ソフィー:「敵?味方?」
ハウル:「どちらでも同じことさ。街や人を焼きに行くんだ」
この素朴な真理を、ブッシュ氏や小泉氏に突きつけてみたいと思いました。
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