10年前

2005年1月17日 日常
東京の築25年のマンションに、二人の子供と3人で住んでいた。
5年間別居していた夫ともう一度やり直すことが決まって、関西に住まいを探しているところだった。
伊丹のマンションと、今住んでいるところと、どっちにしようか迷った末、今住んでいる方に決めたばかりの時だった。

朝、寝ぼけ眼でつけたテレビに映ったねじれた高速道路は、今でもくっきりと脳裏に焼きついている。
ぺしゃんこになった伊丹駅を見て背筋がぞっとした。
それから、大阪のはずれに住んでいた夫のワンルームには、ちょうど枕もとのところに電子レンジの乗った中型の冷蔵庫があるのを思い出し、あれが夫の頭の上に落ちていたら・・と思いはじめたらいても経ってもいられなくなり、人目もはばからず会社から30分おきに夫のマンションと会社に電話を入れ続けた。
連絡が取れたのは夕方だったような・・・。
東京では燃える神戸の町の載った号外が出ていて、ホッとした気持ちをうしろめたく感じたことを思い出す。

この地震の1週間ぐらい前、確か1月7日ぐらいだったように思うのだけど、東京でもかなり大きな地震があったことを覚えている人っているかな?築25年のマンションは水槽の金魚が外に飛び出すくらい揺れて、本当に怖かった。
私は苦しい5年間の末に背水の陣で夫との再スタートを決めたところだったから、たった一つのその“希望”がなんらかの力で奪われるのではないかということに、とても怯えていた。
だからあの頃の不安はとてもよく覚えている。
あの時マンションを伊丹にしなかったのには大した理由があったわけではなく、ホントに単なる偶然だった。

そしてこの2ヵ月後、3月20日に地下鉄サリン事件が起きるのです。
その日は夫との再スタートに向けた、私の退職の日でした。
私は銀座線で通っていたのです。
出勤時間が普通より1時間遅い会社だった。それで助かった。
あのときの駅のただならぬ雰囲気も、一生忘れることはない。
あの3ヶ月をくぐりぬけて今こうして何事もなく暮らしていることが、時々奇跡のように思えるのです。

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