「優しい時間」第3回(辛口)
2005年1月27日 TV★Mistさんに秘密あり
★毒吐きになるかもしれませんので、番組のファンの方はご注意ください。
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初回を見逃して大後悔し、2回目の先週から見始めました。
先週観た時点で既にすこーし感じていた違和感・・・聞きなれた倉本語で語られるセリフの数々や、さもありなんというキャスト、舞台芝居を見ているような演出、の合間に吹くすきま風とでも言いましょうか・・・が、ドラマとしては第3回、私が見始めて2回目で、決定的になってしまいました。
年取ったなあ、倉本聡・・・・・
年配者は可愛らしく描かれ、若者に対しては説教臭い脚本。
マドンナが「東京から来た美しい未亡人」というステレオタイプ、しかもあの喋り方。
息子によって妻が死んだ、ということがドラマの根底にあるわけだけど、それにしても、妻が逝って3年半経ってまだあそこまでどっぷり思い出に浸ってるのってどうなのよ。
亡き人を偲ぶのは構わないし、忘れる必要もないけれど、それでいいのか?と思わずにはいられない。
でも、それはまだ許せる。
傷の癒し方なんて人それぞれだし、妻が死んで気づかされたことがずいぶんたくさんあるみたいだから、死んだ人との対話が必要な人なんだろうと言う理解もできる。
私が今日、「それは絶対に違うぞ」と思ったのは、息子の描き方。
父親の営む喫茶店に密かに来て、木の陰からそっと父親の姿を見て涙する。
あちゃー。そ、それは・・・違うんじゃないですか?
というか、若者をそんな風に描いちゃいけないと、私は思うよ。
貴方(倉本聡さま)はそう期待するのかもしれない。
何もしてくれない父親だったと思っていても、離れてみてわかる父親の存在感?大切さ?愛情?
子供が親をそんな風に想い、求めるものだと思っちゃいけないと思う。それに、この父親は立ち止まってしまったところから先に進めないわけだけど、若者を同じように立ち止まらせちゃいけないだろう、とも。
若者も同じように傷ついていてほしい、と思うのは、年寄りの切ない願望でしかないと思うよ。
でも若者っていうのは逆に、それじゃあダメなんじゃない?
もっとどんどん立ち直って前に進んで行かなけりゃ。というか、若者はそういうパワーをもった生き物でしょ。だから「若者」なんでしょ。
それと。
もしかしたら1回目で描かれていたことかもしれないし、これから先に描かれることかもしれないけど、今日までのところでとても気になるのが。
主人公にとっては「妻を息子に殺され」て、それで最愛の妻を突然失ってしまって悲しく辛いのだろうけど、息子にしてみれば自分で母親を殺してしまったわけで、私は、傷としてはそっちの方が余程大きいだろうと思うのだ。が、今のところそういう視点が感じられない。
そういう意味で、寺尾聡がいくら「どこに行ってしまったのかわからない息子」を想おうとも、その想い方は違うんじゃないかと感じてしまうのだ。
「森の時計はゆっくり時を刻む」
それはそうかもしれないけど、そこに身を任せる生き方は確かにいいかもしれないけど、でもゆっくりした時の中でも、年寄りと若者の時間の刻み方には違いがあって、それはどちらがいいとか悪いとかいうものではないと思うんだけど。
それにしても。
「北の国から」であれほど厳しい現実を描き続けてきた人が、いったいどうしちゃったんだろう?と思うわけです。
今日の、佐々木蔵之助扮する「あずの初恋の先生」の描き方も。そのエピソードにまつわるセリフも。
ほんとに倉本聡が書いてるのかなあ・・・
★毒吐きになるかもしれませんので、番組のファンの方はご注意ください。
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初回を見逃して大後悔し、2回目の先週から見始めました。
先週観た時点で既にすこーし感じていた違和感・・・聞きなれた倉本語で語られるセリフの数々や、さもありなんというキャスト、舞台芝居を見ているような演出、の合間に吹くすきま風とでも言いましょうか・・・が、ドラマとしては第3回、私が見始めて2回目で、決定的になってしまいました。
年取ったなあ、倉本聡・・・・・
年配者は可愛らしく描かれ、若者に対しては説教臭い脚本。
マドンナが「東京から来た美しい未亡人」というステレオタイプ、しかもあの喋り方。
息子によって妻が死んだ、ということがドラマの根底にあるわけだけど、それにしても、妻が逝って3年半経ってまだあそこまでどっぷり思い出に浸ってるのってどうなのよ。
亡き人を偲ぶのは構わないし、忘れる必要もないけれど、それでいいのか?と思わずにはいられない。
でも、それはまだ許せる。
傷の癒し方なんて人それぞれだし、妻が死んで気づかされたことがずいぶんたくさんあるみたいだから、死んだ人との対話が必要な人なんだろうと言う理解もできる。
私が今日、「それは絶対に違うぞ」と思ったのは、息子の描き方。
父親の営む喫茶店に密かに来て、木の陰からそっと父親の姿を見て涙する。
あちゃー。そ、それは・・・違うんじゃないですか?
というか、若者をそんな風に描いちゃいけないと、私は思うよ。
貴方(倉本聡さま)はそう期待するのかもしれない。
何もしてくれない父親だったと思っていても、離れてみてわかる父親の存在感?大切さ?愛情?
子供が親をそんな風に想い、求めるものだと思っちゃいけないと思う。それに、この父親は立ち止まってしまったところから先に進めないわけだけど、若者を同じように立ち止まらせちゃいけないだろう、とも。
若者も同じように傷ついていてほしい、と思うのは、年寄りの切ない願望でしかないと思うよ。
でも若者っていうのは逆に、それじゃあダメなんじゃない?
もっとどんどん立ち直って前に進んで行かなけりゃ。というか、若者はそういうパワーをもった生き物でしょ。だから「若者」なんでしょ。
それと。
もしかしたら1回目で描かれていたことかもしれないし、これから先に描かれることかもしれないけど、今日までのところでとても気になるのが。
主人公にとっては「妻を息子に殺され」て、それで最愛の妻を突然失ってしまって悲しく辛いのだろうけど、息子にしてみれば自分で母親を殺してしまったわけで、私は、傷としてはそっちの方が余程大きいだろうと思うのだ。が、今のところそういう視点が感じられない。
そういう意味で、寺尾聡がいくら「どこに行ってしまったのかわからない息子」を想おうとも、その想い方は違うんじゃないかと感じてしまうのだ。
「森の時計はゆっくり時を刻む」
それはそうかもしれないけど、そこに身を任せる生き方は確かにいいかもしれないけど、でもゆっくりした時の中でも、年寄りと若者の時間の刻み方には違いがあって、それはどちらがいいとか悪いとかいうものではないと思うんだけど。
それにしても。
「北の国から」であれほど厳しい現実を描き続けてきた人が、いったいどうしちゃったんだろう?と思うわけです。
今日の、佐々木蔵之助扮する「あずの初恋の先生」の描き方も。そのエピソードにまつわるセリフも。
ほんとに倉本聡が書いてるのかなあ・・・
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