支店の女性と「たまには社外で会って話したいね」ということで、夕食をともに。

通り一遍な会社の話の後に始まった本題は、離婚について。
高校生と中学生のお母さんである彼女は、つい最近離婚したのだ。
会社の電話やメールではどうしたってできないし、自宅に電話をもらっても、3時間話しても終わらなかったから。
相談、というレベルではなく、もう決まったこと、終わったこと。
それでも彼女は誰かに話したかったんだろうと思う。

それにしても。
原因は夫婦間のことではなく・・・いや、回りまわって結局は夫婦間のことなんだろうけど・・・直接的には嫁ぎ先の実家、特に姑との確執、だったことがやりきれなかった。

彼女のお姑さんと言う人は、自分たちは親だから、苦労して息子を育てたのだから、自分たちも若い頃は大変だったから、今はそうやってきた自分たちが最優先されるべきだ、という考えの人であったという。
そして、自分の価値観が唯一最良であるという調子で、息子の妻として、孫の母としての彼女はやることなすこと批判されてきて疲れ果ててしまったということだった。
自分も働き、娘さんを私学に通わせ、子供たちを連れてミュージカルを観に行く彼女に「女子供にそんなにお金をかけるなんて。歳をとってから楽しなさい」と言ったと言う。

私の親戚にも同じような考えのおばがいて、やはり息子の嫁と孫を長年にわたって疎外し続けた。
そしてお嫁さんの方は、姑にとって孫である息子が大学生になったときに「嫁としての私の務めは終わったと思うから」と自分から夫の家との縁を切った。離婚はしなかったが、夫の親族との付き合いを絶ったのだった。
私は子どもの頃からずいぶん親しく付き合っていたのに、それ以来めったに会うこともできなくなってしまった。

嫁をこういう風に追い詰める姑の心理とはどういうものなのだろうか。
それはすなわち、自分の息子の幸せを妨げているのだという考えには、なぜ至らないのだろうか。
夫婦が愛し合っていても、自分が外側からそれを壊しているという自覚が、なぜないのか。

こういう場合、夫が妻をかばうにも限度がある、ということは、自分の親戚を見ていてよくわかることだった。
妻がどんなに辛い思いをしていても、男の人は自分の母親の敵に回ることはできないらしい。
彼女もその辺りのことはよくわかっていて、夫を責める気はないと言っていた。
ただ、夫と対しているとその後ろに巨大な背後霊のようにつねに実家の存在があるので、もう夫と向き合うこともできなくなったということだった。

結婚というものが、純粋に当事者二人だけのものになる、ということはありえないんだろうか。
折りしも昨日は憲法記念日だったが、9条とともに
「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」
という24条も見直しが言われ始めていると言う。
男女平等が健全なあるべき家庭の形を阻害するという理屈らしいが。

結局「女が我慢しさえすれば全て丸く収まるのに」という理屈。
私の時もそうだった。
年配の人も、同年代の友人たちも、皆口をそろえて「あなたがワガママなんじゃないの」と。
彼女も今、ご近所や学校のPTAなどでそういう視線にさらされているようだった。

わからない人にわかってもらうことは難しい。
そして、わかっていても、わかってあげる以上のことは何もできない・・・と思ってしまう。
今日、話したことで、彼女の心がほんの少しでも軽くなったならいいのだけど・・・。
私の反応は、受け答えは、彼女を傷つけるものではなかっただろうか・・と今日の会話を反芻してみる。
つかのまの息抜きのひと時になっていたら私も嬉しいんだけど・・・どうだったろうか。

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