★コメント、読めました。はちみつさん、ありがとう〜。みなさまお騒がせしました。あの数字はコメントの数だったんですね〜。全然違うものと思ってました(^_^;)
★ゆうゆうさん、リンクありがとうございます。
自分勝手なゴタクを並べてるブログですが、よろしくお願いします。
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動物好きな娘の希望で、45最と18歳、16歳の親子、小さなお子様たちに混ざって観てきた。
まあ、とりあえず、面白かったのは面白かった。
しかし・・・これは大人が観てはいけない映画だったかも・・・・・というヘンな冷や汗が、観た後の私と娘の額にタラ〜リ・・・・・そんな私たちを、息子は(ーー;)な目で見てるし・・・
本当に純粋な子供の頃でないと、この映画の真実は見えないかもしれないと、見た直後はそんなことを思ってしまったりしたんだけど。
それとも、やっぱり私たちが(現代アニメに毒されている私たち親子が)ただ汚れてしまっているだけ?
かわいく描かれているが、主人公のオオカミとヤギは人間で言えば「青年」ぐらいな年頃。
この、つぶらな瞳の白ヤギさんは「私」という一人称で丁寧語を喋る。成宮くんのちょっとハスキーでちょっとハイトーンな声で。(石田彰氏で聴きたかったと思ってしまう私)
白ヤギさんは「あなたと出会えて本当に良かった」とか「あなたと出会えてとても嬉しい」とか「命を掛けてもいいと思える友達に会えた」とかほとんど「告りまくり」なセリフのオンパレードで、言われたオオカミさんは頬を赤らめたりする。
これが、声がもっとアニメ声だったらね、印象も違ったかもしれないよ。
ジャジャ丸とポロリみたいな声だったらさ・・・
でも、中村獅童と成宮寛貴。
特に成宮くんはホント、まずいでしょ、あの声とあのセリフ。
製作側はただ無邪気に「人気者だからぁ」とこの2人をキャスティングしたんでしょうか・・・?
捕食する側とされる側であるオオカミとヤギ。
当然、それぞれの一族からその付き合いを厳しく糾弾され、一族ために相手を裏切るよう迫られる。
濁流の川の真ん中で、それぞれの一族から「一族のための使命を全うするかどうか」を厳しく監視されている二匹は、お互いを裏切ることなどできないと二匹で濁流に飛び込む。
「行ける所まで行ってみよう」「必ず生きて会いましょう」と言い合って・・・・・
娘は「あれはどう見たって駆け落ちにしかみえないよねー。オスとメスの話にした方が、ずっとすんなり見れるのに」
いろいろあった末に、一応ハッピーエンドなんだけど、大人の頭の中は「この先どうするんだ、この二匹・・・・」という思いしか残らなくて・・・。
あー、そういう感想を持った映画が昔あった。
「小さな恋のメロディ」
トロッコに乗ってまっすぐな線路をどこまでも走っていくエンディング。
でも、必ずどこかに終わりがあるはずで、そこには大人たちが待ち構えているはずで、そうでなくても2人だけでは行く先もないはずで・・・・
だからこの「あらしのよるに」も「ファンタジー」なんだよね。
「自分にとっての大切」を大切にしようっていう・・・・
例えば自分がヤギで相手がオオカミでも、そんなことは関係ないよって。
その「オオカミ」と「ヤギ」が「男」とか「女」とか「日本人」とか「外国人」とか、そういういろんなものに置き換えられるんだろうね。
でも、自分にとって大切な存在ならそんなことは関係なく、誰がなんと言おうと大切なんだよ、大切にしていいんだよって。
そう考えれば、それはBLが持つテーマでもあるから、この映画が大人にはBLチックに見えるのも当然なのかも知れないけど。
でもやっぱりそれは、大切な思想だとは思うけど、子供には難しいと思う。
だってこの映画では、二匹は故郷も家族もなにかもかも捨てて、二匹だけで生きる道を選んじゃってるし。
それこそオスとメスだったら、恋愛モノとしてそういう結末もアリかもしれなかったけど。
ちょっとばかり、製作側の意図が掴みかねる映画でありました。
幼稚園ぐらいの子供たちの感想を、聞いてみたいね。
★ゆうゆうさん、リンクありがとうございます。
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動物好きな娘の希望で、45最と18歳、16歳の親子、小さなお子様たちに混ざって観てきた。
まあ、とりあえず、面白かったのは面白かった。
しかし・・・これは大人が観てはいけない映画だったかも・・・・・というヘンな冷や汗が、観た後の私と娘の額にタラ〜リ・・・・・そんな私たちを、息子は(ーー;)な目で見てるし・・・
本当に純粋な子供の頃でないと、この映画の真実は見えないかもしれないと、見た直後はそんなことを思ってしまったりしたんだけど。
それとも、やっぱり私たちが(現代アニメに毒されている私たち親子が)ただ汚れてしまっているだけ?
かわいく描かれているが、主人公のオオカミとヤギは人間で言えば「青年」ぐらいな年頃。
この、つぶらな瞳の白ヤギさんは「私」という一人称で丁寧語を喋る。成宮くんのちょっとハスキーでちょっとハイトーンな声で。(石田彰氏で聴きたかったと思ってしまう私)
白ヤギさんは「あなたと出会えて本当に良かった」とか「あなたと出会えてとても嬉しい」とか「命を掛けてもいいと思える友達に会えた」とかほとんど「告りまくり」なセリフのオンパレードで、言われたオオカミさんは頬を赤らめたりする。
これが、声がもっとアニメ声だったらね、印象も違ったかもしれないよ。
ジャジャ丸とポロリみたいな声だったらさ・・・
でも、中村獅童と成宮寛貴。
特に成宮くんはホント、まずいでしょ、あの声とあのセリフ。
製作側はただ無邪気に「人気者だからぁ」とこの2人をキャスティングしたんでしょうか・・・?
捕食する側とされる側であるオオカミとヤギ。
当然、それぞれの一族からその付き合いを厳しく糾弾され、一族ために相手を裏切るよう迫られる。
濁流の川の真ん中で、それぞれの一族から「一族のための使命を全うするかどうか」を厳しく監視されている二匹は、お互いを裏切ることなどできないと二匹で濁流に飛び込む。
「行ける所まで行ってみよう」「必ず生きて会いましょう」と言い合って・・・・・
娘は「あれはどう見たって駆け落ちにしかみえないよねー。オスとメスの話にした方が、ずっとすんなり見れるのに」
いろいろあった末に、一応ハッピーエンドなんだけど、大人の頭の中は「この先どうするんだ、この二匹・・・・」という思いしか残らなくて・・・。
あー、そういう感想を持った映画が昔あった。
「小さな恋のメロディ」
トロッコに乗ってまっすぐな線路をどこまでも走っていくエンディング。
でも、必ずどこかに終わりがあるはずで、そこには大人たちが待ち構えているはずで、そうでなくても2人だけでは行く先もないはずで・・・・
だからこの「あらしのよるに」も「ファンタジー」なんだよね。
「自分にとっての大切」を大切にしようっていう・・・・
例えば自分がヤギで相手がオオカミでも、そんなことは関係ないよって。
その「オオカミ」と「ヤギ」が「男」とか「女」とか「日本人」とか「外国人」とか、そういういろんなものに置き換えられるんだろうね。
でも、自分にとって大切な存在ならそんなことは関係なく、誰がなんと言おうと大切なんだよ、大切にしていいんだよって。
そう考えれば、それはBLが持つテーマでもあるから、この映画が大人にはBLチックに見えるのも当然なのかも知れないけど。
でもやっぱりそれは、大切な思想だとは思うけど、子供には難しいと思う。
だってこの映画では、二匹は故郷も家族もなにかもかも捨てて、二匹だけで生きる道を選んじゃってるし。
それこそオスとメスだったら、恋愛モノとしてそういう結末もアリかもしれなかったけど。
ちょっとばかり、製作側の意図が掴みかねる映画でありました。
幼稚園ぐらいの子供たちの感想を、聞いてみたいね。
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