心は千々に乱れ
2006年6月5日もうかれこれ16年前、二人の子供を連れて実家に出戻った時は、今の半分、いや、そのまた半分ほども親に対して気を遣うことはなかった。
親が歳とってるということを感じることもなく、私は自分のことばかり考えて行動していた。
あのころが懐かしい。
あのころの自分がいいとは決して思わないけど、親に対してワガママでいられた最後の時期だったんだと、今になってわかる。
年老いた親を引き取るということがこんなにも心乱されることだとは思っても見なかった。
あんなにも「東京大好き」で、地元に友達がたくさんいる人が、こんな田舎に自分から「行く」と言い出す心境を考えると、寂しくて切なくて。
マンションの部屋は母と同居できるほど部屋数がないので、近くに1LDKを借りてもらって、「その方が完全同居よりお互いのためにいい」と思っていたのに、実際生活が始まってみると、どうにも後ろめたくて仕方なくて。
だって、朝「おはよ〜」とうちに来て、1日中掃除したり洗濯したりしてくれて、夕飯も作ってくれて、食事が終わると「じゃあね〜」と夜道を帰って行き、土・日は来ない。もちろん誘ってる。週末だってこっちに来てていいんだよ、夕食も週末は私が作るよ、と言ってもなかなか来ない。
遠慮してるんだか、ホントに週末は自分の家で一人でのんびりしたいのか・・・。
何事も母が「やりたい」ということを、私は極力「どうしろ」とは言わないで好きなようにしてもらってるつもりでも、これってなんだか家政婦さんみたいだったりしない・・・・・?と心の中で囁く人がいたりする。
だから週末は悩ましい。
母が来ても来なくても、気持ちのどこかに引っかかっていて。
私はこの母親が大嫌いなんです。
年寄りっ子の末っ子で甘やかされて育って、独りよがりでワガママで「世界は自分を中心に回っている」という典型に出来上がってる人。
子供の頃からあの人の不条理な「愛情」にどれだけ泣かされてきたか、情けない思いをさせられてきたか。
老後なんて絶対に見てやらない、と思っていたのに、どうして結局こんなことになってるんだろう・・・と思うのに。
それなのに、こっちに来た事を後悔されたくない、と思っている私。
「もうヤダ、東京に帰る」って言われたらどうしよう、と思っている私。(言い出しかねない人なので)
なんなのよ、これは。
だんだん腹立たしくなってくるので、今日はこの辺で打ち止め。
親が歳とってるということを感じることもなく、私は自分のことばかり考えて行動していた。
あのころが懐かしい。
あのころの自分がいいとは決して思わないけど、親に対してワガママでいられた最後の時期だったんだと、今になってわかる。
年老いた親を引き取るということがこんなにも心乱されることだとは思っても見なかった。
あんなにも「東京大好き」で、地元に友達がたくさんいる人が、こんな田舎に自分から「行く」と言い出す心境を考えると、寂しくて切なくて。
マンションの部屋は母と同居できるほど部屋数がないので、近くに1LDKを借りてもらって、「その方が完全同居よりお互いのためにいい」と思っていたのに、実際生活が始まってみると、どうにも後ろめたくて仕方なくて。
だって、朝「おはよ〜」とうちに来て、1日中掃除したり洗濯したりしてくれて、夕飯も作ってくれて、食事が終わると「じゃあね〜」と夜道を帰って行き、土・日は来ない。もちろん誘ってる。週末だってこっちに来てていいんだよ、夕食も週末は私が作るよ、と言ってもなかなか来ない。
遠慮してるんだか、ホントに週末は自分の家で一人でのんびりしたいのか・・・。
何事も母が「やりたい」ということを、私は極力「どうしろ」とは言わないで好きなようにしてもらってるつもりでも、これってなんだか家政婦さんみたいだったりしない・・・・・?と心の中で囁く人がいたりする。
だから週末は悩ましい。
母が来ても来なくても、気持ちのどこかに引っかかっていて。
私はこの母親が大嫌いなんです。
年寄りっ子の末っ子で甘やかされて育って、独りよがりでワガママで「世界は自分を中心に回っている」という典型に出来上がってる人。
子供の頃からあの人の不条理な「愛情」にどれだけ泣かされてきたか、情けない思いをさせられてきたか。
老後なんて絶対に見てやらない、と思っていたのに、どうして結局こんなことになってるんだろう・・・と思うのに。
それなのに、こっちに来た事を後悔されたくない、と思っている私。
「もうヤダ、東京に帰る」って言われたらどうしよう、と思っている私。(言い出しかねない人なので)
なんなのよ、これは。
だんだん腹立たしくなってくるので、今日はこの辺で打ち止め。
コメント