読書は、基本的には仕事帰りの電車の中ですることにしている。
なぜなら、早く帰りたいから。
通勤の電車は急行で約30分。朝も長いけど、帰りはもっと長く感じる。疲れてて、電車が混んでると、本当に長い。
だから、LISMOで音楽聴きながら過ごすか、本読んで過ごすか。

LISMOもいいんだけどねー、一時期アルバム10数枚分入れてあったけど、それでも飽きるのね。
どんなに好きなアルバムでも、家でも車でも散々聴いてきたものをまたLISMOに入れてもね・・・。
で、LISMOには、本当に好きな曲だけを着うたフルで探してきて入れることにした。そして、たまーに聴く。
なので、帰りの電車の暇つぶしは読書がデフォルトになったわけなんだけども。

何を読むかの選択がまた、難しいということに最近気づいた。
活字中毒を自認する私だけど、本の内容にいまいち入り込めないこともある。仕事帰りで疲れていると、そんなぶっちゃけツマンナイ本を読んでいると、立ってても眠くなっちゃったりする。
だからと言って、すごく面白いものを選んでしまうと、1日30分では我慢できなくなる。ついつい、家に帰ってからも読んでしまったり。
それで、この本も、文庫本で上下になっていたのに、結局一昨日から読み始めたのに昨日家に帰ってから上を読了してしまい、下を休日だった今日1日で読んでしまった。はあ。何のために買ったんだか。


で、この小説だけど。
わかってもらえないっていうのは、ホントに辛いよね。
ああ、この人は私のことをわかってくれてるって思えることは、何にも変えがたい安心感で、人が生きていくうえでその人の土台の部分を固めるものだと思う。
手前味噌だけど(手前味噌ってこういう時に遣う言葉かどうかわからないけど)、私もそういう安心感がないから、だからいつも不安定なんだろうなーと思うし、松子の晩年の支離滅裂はすごくわかる。
それで、そんなになってもどこかで「きっかけさえあればここから抜け出したい」と実は思っていたことが切なくて、そんな最後の望みも無意味な形で断たれてしまったことがホントに哀れでならなかった。

どうしたら幸せになれたんだろうね。
自分では一生懸命生きてきたのにね。
ホントに、たった一人でよかったのにね。
何十年という長い人生で、どうしてそのたった一人が現れないんだろうか。

・・・でも、もしかしたら父親がその“一人”だったんだろうか。
気付かなかった松子が悪いのだろうか?

そう考えると、少し怖くなる。


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