懐かしの鶴丸マーク。1980年短大卒業の私の年代には、憧れのマーク。
すちゅわーですにもなりたかったし。海外旅行に行くにしても、JAL便なんかには乗れなかったし。
昔々、そんな憧れのJALで、1年ほど事務のアルバイトしたことがありました。
JAL株が1株1万円台だったか3万円台だったか、という時代です。
ここでのバイト経験は、私には少なからずカルチャーショックだったというか。
社員のみなさま、教養があって上品で、ただ単に高学歴で入ってきている、という以上に、今でいうセレブな雰囲気漂う職場でした。
女性社員では、「お見合いでお医者さんと結婚」と言う人が多く。
家庭のある男性社員の方々はみなさん、子供さんを有名私立に通わせていて。
まとまったお休みには、当たり前のように海外旅行。
仕事終わりに着替えてきた私服が素敵なので「どこで買ったんですかぁ~」なんて聞こうものなら、「こないだロンドンに行ったときに買ってきたの~♪」とか。でもそれが全然嫌味ではなく、すごく自然で。
まあ、航空券代は社員割引で安くなっていたみたいですが。
当時私は結婚して、まだ子供のいない時期でした。
私自身は家計のためにというよりは「ヒマだから」ということでバイトに行っていて、「女はいつ子供ができて働けなくなるかわからないから、バイト代は家計に入れずに貯金しなさい」と母から言われた通りに、日々の暮らしはダンナのお給料をやりくりしておりましたが、毎月かつかつで。
ある日、バイト先の女性社員の人が「うちはダンナが研修医で収入がないから、私のお給料で生活していて結構大変。だから1週間の食費は3万円って予算を決めてやってるの。」という話を聞き。主婦初心者だった私は、週の予算を決めて暮らす、なんてこともしてなかったので「なるほど~」と思いさっそく我が家の予算組をしたのですが・・・・。
週3万円なんてとんでもなかった・・・orz
半分の1万5千円ぐらいがやっとだったような記憶があります。
それで初めて「はぁ~、お給料たくさんもらってるんだなあ~」と思ったり。
私は年齢的に社員の方たちより少し若かったこともあって、可愛がってもらいました。若い女性社員も課長クラスのおじさんたちも、みなさんふんわりと優しい人たちばかりで「育ちがいい」っていうのは、こういう人たちのことを言うんだなあ、なんて感じたものです。
あのJALがついに会社更生法申請・・・諸行無常というか奢れるものは久しからずというか・・・当時の雰囲気から、数字がどんどん悪くなっていっても「お金がなくなる」ということがどういうことか、実感できなかったんじゃないかと思ったりします。
あの頃のみなさんは、今も会社にいるとすれば50代後半~定年を迎えるかどうかぐらいな年代。どうしていらっしゃるかしらと、気がかりです。
すちゅわーですにもなりたかったし。海外旅行に行くにしても、JAL便なんかには乗れなかったし。
昔々、そんな憧れのJALで、1年ほど事務のアルバイトしたことがありました。
JAL株が1株1万円台だったか3万円台だったか、という時代です。
ここでのバイト経験は、私には少なからずカルチャーショックだったというか。
社員のみなさま、教養があって上品で、ただ単に高学歴で入ってきている、という以上に、今でいうセレブな雰囲気漂う職場でした。
女性社員では、「お見合いでお医者さんと結婚」と言う人が多く。
家庭のある男性社員の方々はみなさん、子供さんを有名私立に通わせていて。
まとまったお休みには、当たり前のように海外旅行。
仕事終わりに着替えてきた私服が素敵なので「どこで買ったんですかぁ~」なんて聞こうものなら、「こないだロンドンに行ったときに買ってきたの~♪」とか。でもそれが全然嫌味ではなく、すごく自然で。
まあ、航空券代は社員割引で安くなっていたみたいですが。
当時私は結婚して、まだ子供のいない時期でした。
私自身は家計のためにというよりは「ヒマだから」ということでバイトに行っていて、「女はいつ子供ができて働けなくなるかわからないから、バイト代は家計に入れずに貯金しなさい」と母から言われた通りに、日々の暮らしはダンナのお給料をやりくりしておりましたが、毎月かつかつで。
ある日、バイト先の女性社員の人が「うちはダンナが研修医で収入がないから、私のお給料で生活していて結構大変。だから1週間の食費は3万円って予算を決めてやってるの。」という話を聞き。主婦初心者だった私は、週の予算を決めて暮らす、なんてこともしてなかったので「なるほど~」と思いさっそく我が家の予算組をしたのですが・・・・。
週3万円なんてとんでもなかった・・・orz
半分の1万5千円ぐらいがやっとだったような記憶があります。
それで初めて「はぁ~、お給料たくさんもらってるんだなあ~」と思ったり。
私は年齢的に社員の方たちより少し若かったこともあって、可愛がってもらいました。若い女性社員も課長クラスのおじさんたちも、みなさんふんわりと優しい人たちばかりで「育ちがいい」っていうのは、こういう人たちのことを言うんだなあ、なんて感じたものです。
あのJALがついに会社更生法申請・・・諸行無常というか奢れるものは久しからずというか・・・当時の雰囲気から、数字がどんどん悪くなっていっても「お金がなくなる」ということがどういうことか、実感できなかったんじゃないかと思ったりします。
あの頃のみなさんは、今も会社にいるとすれば50代後半~定年を迎えるかどうかぐらいな年代。どうしていらっしゃるかしらと、気がかりです。
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