悼む人

2011年7月21日 読書
うーん・・・・・

静人はやっぱり「神」じゃないですかね。

現実的な、身も蓋もない言い方をすれば、静人は「強迫神経症」とかの病気だと思う。けれども、静人のしていることに対しては、反発する人もいれば惹き込まれる人もいる。
特に、蒔野や倖世のように現実が辛い人ほど惹き込まれるんだろうなあ、と思うし。
静人の行為というのは、本来なら誰もが心がけるべき行為ではあるけれども、「生活」していたらそんなわけにはいかない、という現実も確かにあると思うし。
でもそれを静人は、自らの「生活」を犠牲にしてその行為を続けて行くわけで。(でもそれは、「やらなくてもいいんだけど、やりたいからやってる」というのとは違う。静人にとってはやらずにはいられないだけのこと)
倖世が静人との別れ際に見る光景や、巡子との最後のエピソード・・・・・
どうしても、○り○トの始まりはこんな風だったんじゃないのか・・・という印象をぬぐえなかったし、この小説自体が新たな聖書のような感じもしてしまった。
作者は(静人は)「宗教ではない」と言っているけれども、宗教(になる)かどうかは後付けの問題だと思うし・・・

で、だからというわけではないけれども、読みながらイメージが重なったのが、昨年観た映画「ラブリーボーン」でした。

生きてる側は、生きてる感情で物事を考えるから、大切な人が命を奪われると「恨み」とか「憎しみ」とか「無念」とかの視点でその人の死を捉えてしまうし、理不尽な殺され方をした人に対して「殺されても仕方がないような人だったんじゃないのか」という理由を探してしまったりする、けれども。

死んだ人は生きてる人の心の中で生き続けるのだから・・・だから、それでいいのか?と・・・
ラブリーボーンも、そういうことを問いかけていた映画だと思うし、この小説も・・・
生きてる人の安らぎではなく、死んだ人自身の安らぎを願う(想う)べきだと・・・そういうことなんじゃないのかなあと、思った次第です。

この小説の続編のような「静人日記」というのが出ているようですが・・・私はあまり読みたくはないかな・・・静人のしていることを、全面的に肯定できないかたくなな部分が、私の中にはあると思うので。







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