先月初め、義母が手術をすることになったというので、腰の重い夫がようやく「たまには様子見に行くか」と言って、先月末に約1年ぶりに帰省した。
春先から、めっきりご飯が食べられなくなったと聞いていたのだけど、胆管だかどこだかに結石があっただけで、手術で取ってしまえば無問題とのことで、実際、入院したその日に腹腔鏡で手術、3日後には地元の病院に戻るという慌ただしさで、私たちが行けたのも地元の病院に戻って1週間も過ぎた頃だった。
昨年は、やっぱり夏頃、とうとう自宅では暮らせなくなり施設に入ったというので、様子を見に行ったのだった。
その時は、身体は小さくなっていたものの、私たちのことはちゃんとわかって、バイトで来られなかった息子のことを「どうしてる?」なんて言ってくれたのに・・・
今回は息子も一緒に家族4人で行ったのだけど、病室に4人でぞろぞろ入っていったら「誰?!何事?!」というような反応で、私たちを見る目つきがもう、不審者を見るようで。
もともとは穏やかで優しい人なので、未だかつてそんな険しい目つきを見たことがなく、私はすっかり気持ちが怯んでしまって、話しかけることはおろか、ベッドに近づくこともできなかった。
夫が、何度も何度も「オレ、○○だよ、わかる?わかる?」と聞いてもはかばかしい反応はなく、困った夫が、多分話題も見つからなかったのか「お母さん、今年いくつだっけ?たしか△年だったよね?」と話しかけた時には、「人にそんなこと聞いたらいけません!」と、珍しく大きな声を出した。
知らない人たちがぞろぞろ入ってきて、わかるかとかわかんないのかとか言われた挙句、ずけずけと歳を聞かれて腹を立てたように見えた。
そんな様子を見ていた娘が、ことさら穏やかな口調で、「おばあちゃんの孫の○○だよ、しばらくぶりだったから忘れちゃったかな」とか、手をさすって「冷たいね~、寒くない?」「ご飯、ちゃんと食べてる?」などなど話しかけていたら、最後には娘にだけはいつもの穏やかな表情になって、「また明日来るからね」と手を振った時にかすかに笑ったのだった。
この状態が、手術後のショックが覚めてない故の一過性のものかどうかはわからない。ただ、以前、骨折で入院した時にも同じような状態になったことがあったけど、その時は、自分がどういう状況かわからなくても、人に対する認識はあった。
今回は、もうまったくわからない様子で、夫は多少なりともショックだったようで、夕方になって仕事から帰った弟ともう1度病院に行って(弟は毎日行っているのでわかっている)、「今度は『○○か』と言ってたからわかったみたい」とホッとした様子だった。
兄弟セットで行くことで思い出したのか、いつも来てくれる人(=弟)が「○○だよ」というので「そうなんか」と思っただけなのか、それはわからないけど。
でも、あの険しい、睨むような目つきというのは、私には少々ショックだった。
こう言う時に、私一人他人だということを実感する。
理性のあったうちは、摩擦を起こさないようにと本音を隠して来ても、こうなった時にその本音がむき出しになるのかもしれないと。
だとしたら、私はやっぱり好かれてなかったのかもしれないなと。
そんなこと、今更ここまで来て思っても仕方ないことだし、田舎で生まれ育った義母と東京で生まれ育った私では噛みあいようがないという諦めは、最初からお互いにあったと思うので、仕方のないことなんだけど、でも私は、実の母に忘れられるよりもずっとずっと、今回はショックだった。
老いていくということはこういうことなんだろうけど、本当にやるせない。
春先から、めっきりご飯が食べられなくなったと聞いていたのだけど、胆管だかどこだかに結石があっただけで、手術で取ってしまえば無問題とのことで、実際、入院したその日に腹腔鏡で手術、3日後には地元の病院に戻るという慌ただしさで、私たちが行けたのも地元の病院に戻って1週間も過ぎた頃だった。
昨年は、やっぱり夏頃、とうとう自宅では暮らせなくなり施設に入ったというので、様子を見に行ったのだった。
その時は、身体は小さくなっていたものの、私たちのことはちゃんとわかって、バイトで来られなかった息子のことを「どうしてる?」なんて言ってくれたのに・・・
今回は息子も一緒に家族4人で行ったのだけど、病室に4人でぞろぞろ入っていったら「誰?!何事?!」というような反応で、私たちを見る目つきがもう、不審者を見るようで。
もともとは穏やかで優しい人なので、未だかつてそんな険しい目つきを見たことがなく、私はすっかり気持ちが怯んでしまって、話しかけることはおろか、ベッドに近づくこともできなかった。
夫が、何度も何度も「オレ、○○だよ、わかる?わかる?」と聞いてもはかばかしい反応はなく、困った夫が、多分話題も見つからなかったのか「お母さん、今年いくつだっけ?たしか△年だったよね?」と話しかけた時には、「人にそんなこと聞いたらいけません!」と、珍しく大きな声を出した。
知らない人たちがぞろぞろ入ってきて、わかるかとかわかんないのかとか言われた挙句、ずけずけと歳を聞かれて腹を立てたように見えた。
そんな様子を見ていた娘が、ことさら穏やかな口調で、「おばあちゃんの孫の○○だよ、しばらくぶりだったから忘れちゃったかな」とか、手をさすって「冷たいね~、寒くない?」「ご飯、ちゃんと食べてる?」などなど話しかけていたら、最後には娘にだけはいつもの穏やかな表情になって、「また明日来るからね」と手を振った時にかすかに笑ったのだった。
この状態が、手術後のショックが覚めてない故の一過性のものかどうかはわからない。ただ、以前、骨折で入院した時にも同じような状態になったことがあったけど、その時は、自分がどういう状況かわからなくても、人に対する認識はあった。
今回は、もうまったくわからない様子で、夫は多少なりともショックだったようで、夕方になって仕事から帰った弟ともう1度病院に行って(弟は毎日行っているのでわかっている)、「今度は『○○か』と言ってたからわかったみたい」とホッとした様子だった。
兄弟セットで行くことで思い出したのか、いつも来てくれる人(=弟)が「○○だよ」というので「そうなんか」と思っただけなのか、それはわからないけど。
でも、あの険しい、睨むような目つきというのは、私には少々ショックだった。
こう言う時に、私一人他人だということを実感する。
理性のあったうちは、摩擦を起こさないようにと本音を隠して来ても、こうなった時にその本音がむき出しになるのかもしれないと。
だとしたら、私はやっぱり好かれてなかったのかもしれないなと。
そんなこと、今更ここまで来て思っても仕方ないことだし、田舎で生まれ育った義母と東京で生まれ育った私では噛みあいようがないという諦めは、最初からお互いにあったと思うので、仕方のないことなんだけど、でも私は、実の母に忘れられるよりもずっとずっと、今回はショックだった。
老いていくということはこういうことなんだろうけど、本当にやるせない。
コメント
本当に、親が老いていくのを見るのはつらいです。体はともかく、忘れられてしまうのはもっとつらいだろうな。
そうなんですよね、私も、夫のこともわからないなら仕方ないと思ったし、憶えていてほしかったというのでもないのですが、ただ、あの「あんた、誰?」という声が聞こえてきそうな目つきが、本当に悲しかったのです。
実の子である夫が「行こう」と言わないなら私がやいやい言っても・・・と思って来たけど、これからはもう少し頻繁に会いに行くように声をかけようと思いました。