義母が亡くなりました。
8月の初めに義弟から、主治医が一度長男さんも一緒のところで説明をしたいと言っていると連絡があり行った時に、とても遠回しな余命宣告的な話があり、その時は「年内もつかどうか」だったのだけど、そこから約1か月でした。
前に出た「胃ろう」についても「どうするどうする」と言っているうちに、もう胃ろうができる体力がない、という状態になり、血液の状態が白血病のような感じになっても治療はおろか検査ができる状態ではない、ということで、弱って行くのに任せた最期となりました。
享年82歳は、今の平均寿命からみれば早いらしいのですが、たくさんのチューブに繋がれることもなく、痛みなどに苦しむこともなく、うつらうつらすることが多くなって最期は眠るように逝ったということなので、悪くない最期だったのではないかなと思います。
息子たちの鈍感に見える様子にイラついたりもしたけど、結果的にはそれがよかったなと。
自分の時にも、家族には、ある程度のところで寿命だと割り切って、あんまりいろんなことをしないようにしてほしいなと思いました。
最後に行った時にはわりとはっきりしていて、夫のことはもちろん、私のこともなんとなく?わかったようで、笑顔もあり、手を握って話すことができたので、私としても心残り少なくお別れすることができました。
田舎での、義父以来16年ぶりのお葬式では、来てくださる方々の年齢がぐっと上がっていて義父の時のにぎやかさはなく、逆に斎場や火葬場が新しい建物になっていて、時代の移ろいを感じました。
夫の実家のお台所に立つと、結婚したばかりの頃や子供たちが小さかった頃の賑やかさばかりが思い出されて、寂しくて寂しくて。
義弟は結婚していないし、このままではこの家もいつかなくなるだけだなぁ・・・
と思うのは私ばかりではなかったようで、今年29になる娘が「結婚しないと・・・!なんとかして結婚しないと!」と焦っています。
まぁ、焦ってもろくなことはないから、と宥めていますが、天国のおじいちゃん、おばあちゃんが良縁に導いてくれるないかしらと、早くも神頼み(夫の実家は神道なので、亡くなった人は神様になります)。
8月の初めに義弟から、主治医が一度長男さんも一緒のところで説明をしたいと言っていると連絡があり行った時に、とても遠回しな余命宣告的な話があり、その時は「年内もつかどうか」だったのだけど、そこから約1か月でした。
前に出た「胃ろう」についても「どうするどうする」と言っているうちに、もう胃ろうができる体力がない、という状態になり、血液の状態が白血病のような感じになっても治療はおろか検査ができる状態ではない、ということで、弱って行くのに任せた最期となりました。
享年82歳は、今の平均寿命からみれば早いらしいのですが、たくさんのチューブに繋がれることもなく、痛みなどに苦しむこともなく、うつらうつらすることが多くなって最期は眠るように逝ったということなので、悪くない最期だったのではないかなと思います。
息子たちの鈍感に見える様子にイラついたりもしたけど、結果的にはそれがよかったなと。
自分の時にも、家族には、ある程度のところで寿命だと割り切って、あんまりいろんなことをしないようにしてほしいなと思いました。
最後に行った時にはわりとはっきりしていて、夫のことはもちろん、私のこともなんとなく?わかったようで、笑顔もあり、手を握って話すことができたので、私としても心残り少なくお別れすることができました。
田舎での、義父以来16年ぶりのお葬式では、来てくださる方々の年齢がぐっと上がっていて義父の時のにぎやかさはなく、逆に斎場や火葬場が新しい建物になっていて、時代の移ろいを感じました。
夫の実家のお台所に立つと、結婚したばかりの頃や子供たちが小さかった頃の賑やかさばかりが思い出されて、寂しくて寂しくて。
義弟は結婚していないし、このままではこの家もいつかなくなるだけだなぁ・・・
と思うのは私ばかりではなかったようで、今年29になる娘が「結婚しないと・・・!なんとかして結婚しないと!」と焦っています。
まぁ、焦ってもろくなことはないから、と宥めていますが、天国のおじいちゃん、おばあちゃんが良縁に導いてくれるないかしらと、早くも神頼み(夫の実家は神道なので、亡くなった人は神様になります)。
コメント
うちの母もそうでしたが延命などしないで眠るように逝ってよかったですよね。
おつかれさまでした。
ありがとうございます。
なーんにもしない嫁でした。
ありがとうとごめんなさいしか、言葉はありませんでしたが、義父の時よりもずっと、喪失感が強いです。
離れて暮らしていたら余計、嫁としてできることは限られてしまうし、距離感も埋まりにくい。でも、お姑さんの存在って私も大きかったからよくわかります。
きっと娘さん、良縁をつかんで幸せを運んでくれますよ。「なんとかして結婚しないと!」なんて口にするなんて、娘さんもすごく喪失感を感じたからなんでしょうね。
そうですね、急と言えば急だったのかもしれませんが、正直なところ私としては、もっとなにかできることがあるのでは?という思いがずっとありました。
だから、「医者は年内もつと言っていたのに」という受け止め方をしている義弟と夫には、正直なところ少しわだかまりがあります。今そう思うなら、もっと前々からできることがあったんじゃない?と。
ただ、結果的には、本人が痛がったときだけ結石摘出の手術をしただけで、それ以外ほんとになにもしなかったことで、痛み苦しみの負担は最小限で済んだのでは、とも思うので、どうするのが一番良いかという判断を現在進行形で出すのはホントに難しいと思いました。
娘も息子も、もりの家の血縁を繋ぐには自分たちがどうにかしないとということに気づいて、喪失感というより危機感を感じるようです。その辺は、動物的本能的なものでしょうかね(苦笑)