映画「未来のミライ」
4歳の男の子“くんちゃん”に妹ができることで起きる「赤ちゃん返り」を描いた映画です。

とても面白かったです。お腹を抱えて笑うこと度々。
それはどういう点でか、といえば、「子育てあるある」がリアルという点においてで、映画全体として見れば、「時をかける少女」のような胸キュンも「サマーウォーズ」のようなエンタメ性も「おおかみこどもの雨と雪」のようなドラマ性も「バケモノの子」のような冒険性もないので、その「子育てあるある」が実感としてわからない人たちにとっては、少々退屈な映画だったのでは?と思いました。

とは言え、エンタメ性冒険性、と言う意味では後半に「これこれ、これこそ細田ワールド」というシーンもあるし、胸キュンについては、私なんかには大いにありまして、ラストシーンで自分でも「なんで?」と思うようなこみ上げるものがあったのですが。

でも、そんなセンチメンタリズムは「親の勝手な思い込み」と、娘からはバッサリ。
「自分も寂しい思いをして育った」という娘の視点は親ではなくくんちゃんに寄るので、「もっとくんちゃんの気持ちに寄り添う描写が欲しかった」と言います。
いや、それをやってしまっては今回のテーマが曖昧になってしまうからさ、と言うと「そんな風に、『ほっといても子供は自分で乗り越えて勝手に成長する』という考え方がそもそも親のエゴだ」と。もっと、寂しい思いをしている子供の気持ちを考えるべき、と。
映画では、子供とともに、親たちもいっぱいいっぱいいなのがとてもよくわかるので、私のような世代は、「うんうん、そうだよね、わかるよー、みんな頑張ってるよね」的なほんわかした感想になるのですが、娘にしたら「とてもそんな風には見れない。くんちゃんとペット犬のゆっこがとにかく可愛そう」で、胸の痛い映画であったようでした。

実は今回、映画を見ながら、常日頃から「自分はいつも弟より後回しだ」と言っている娘が「そういうことではなかったんだ」とわかってくれるんではないかな、と内心期待していたのです。
ところが、感想は真逆。
「親としては同じ子供でも一人ひとり違うからそれぞれに合ったやり方を考えながらやってるつもりなんだけどね」
「2人に対して「全く同じように」接したとしてもその受け止め方は「全く同じ」ではないんじゃない?」
というような事を言うと「やり方の問題ではない、気持ちの問題。親の気持ちがいつもいつも自分より弟の方を向いている、という寂しさはずっと残るから」

そんな風に思わせてしまったことは申し訳なかったね~、と言うしかありません。

でもねー、その、あなたより息子の方により強く向いていた「気持ち」というのは、「愛情」とは違う種類のものなんだけどね。
それをわかってもらえないのが、残念だなと思うけど。

今回の映画で、ミライちゃんのデフォルメを別の形にしていたら、「くんちゃんがお兄ちゃんにならなければならない」ことへの説得性も出たかなぁ、などと思うのでした。

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