「さざなみのよる」木皿泉
読んでいて、そして読み終わって、とても大きな安心感に包まれる感じ、これはなんなんだろうね。

なんていうか「安心して死ねる」感っていうか。

あー、生まれて、生きて、それだけでよかったんだー、なんにも考えずに死んでいいんだー、みたいな。

それはなにか、充実した1日の終わりに「あー、疲れたー」ってベッドで目を閉じる時の快感に似てたりもして。

とにかく、すごく不思議な感覚に包まれて読んだ1冊でした。

昨年、一昨年にNHKのお正月ドラマだった「富士ファミリー」ワールドの小説です。
第一話でドラマでは幽霊だったナスミ(演:小泉今日子)の死が描かれ、それがこの小説の扉になっているというか。
(とある「しかけ」があって、「さざなみのよる」というタイトルも「そういうことかぁ~」ってわかるようになってます)
そこから「始まる」というようなストーリーがあるわけではなく、ナスミの死から派生する「さざなみ」が描かれている小説です。

木皿泉さんの言葉遣いって、なんというかすごくフラットだなと感じます。
例えば、ナスミを看取った夫の日出夫が、とある理由から、今亡くなったところのナスミに対して「めんぼくない気持ちになった」っていう表現があって、それがすごく印象的で好きなんですが。
「めんぼくない」って、あんまり死者に対して使う言葉じゃないという感じがするんですよね。人ってそんな風に「死」に対してはなんか自動的に線を引いてしまう感覚があると思うんだけど、この作家さんにはそういことがなくて、それがかえって、普通なら読み流してしまうようなところで「はっ」と思わせられたりするんです。
前作の「昨夜のカレー、明日のパン」でもそうだったけど、生と死の境目というのがすごく曖昧で、だからなのか、「命は数珠繋ぎ」ということを読んでいてすごく感じて、それが安心感につながるのかなと思ったりします。

それは、実質的に子供を作るとか産むとかいうことではなくて、人は人と関わることで繋がっていくんだなっていう感覚で、それは同じ生きとし生けるものであっても、動物と人間の違うところ、人間ならではの部分なんだなと感じます。

個人主義に拍車がかかっていってる今の時代だからこそ、それを感じるのかもしれないし、作家さん自身、奥底に危機感を持っているのかもしれないとも思ったり。

ですが、そういうところまではあまり考えず、無心で身を委ねたい木皿ワールドです。






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