なんだかんだ、今年はまだこたつを出してない。
すごく寒い日というのもあるけど、逆に、ちょっと着込んでたり、ちょっと動き回ったりで汗ばんだりする日もあるので、こたつを出す気になれないでいる。
家の中では暖かいのはありがたいんだけど、外に出た時に「冬だなー」という寒さを感じられる日が、まだまだ少ないのが、冬の寒さが好きな身としてはちょっと寂しい。
でも、やみくもに寒いのが好きなわけではないのよ、当たり前だけど。
今まで60年近く生きて来て、「あの時はホント―に寒かった、辛かった」と思い出すことが、ぱっと考えて2度ほどある。
どちらも学生時代。
1度は、12月の冬休みに、なんかの映画のエキストラのアルバイトに参加した時。
モブの1人だったんだけど、人がバラバラっといる、という情景を遠くから撮る(俯瞰で撮るってやつ)のに、人の散らばり方に監督がこだわって、何十人といるモブの一人ひとりの位置を助監督が、遠くにいる監督&カメラマンと私たちの集団の間をいちいち走って行き来しては確かめながら決めて行くという作業が延々続いて、夕方から始まって段々暮れて来るにつれて寒くなってきて、なんか12月にしては軽装な服だったのもあって、アスファルトの道に立ったまま決められた位置からは動けず、どんどん、どんどん冷えてきて、立っているだけの足が冷えすぎて痛くなって感覚がなくなって、本当につらかった。
もう一回は、やっぱり冬休みに友達の家にお泊りに行った時。
フローリングのリビングに石油ファンヒーターで、友達数人と徹夜でダベっていた(って、今は言わない?)ら、深夜になってファンヒーターの灯油が切れて。
灯油は物置に入ってて、親がカギを持ってるから朝にならないと足せない、とのことで、もうそこからは冷えて冷えて、歯がガチガチ言い出しておしゃべりもままならなくなって。
朝になって灯油が足されたような気はするけどそれで温まったという記憶はなく、そのあと朝の通勤ラッシュの電車で帰宅したその電車のあったかさに生き返った気がしたことを強烈に覚えていたり。
あそこまでの寒い思いは嫌だけど、でもやっぱり冬が好き。
去年の冬も、寒くなるのを待ち焦がれた気がするけど、今年も。
そして、やっぱり温暖化なのね、と今年も悲しい気持ちになる。
昔は四季の気候の差がもっとはっきりキッパリしてたよね・・・と、昭和生まれが平成の最後の冬に寂しく思うのはそんなことだったりして。
すごく寒い日というのもあるけど、逆に、ちょっと着込んでたり、ちょっと動き回ったりで汗ばんだりする日もあるので、こたつを出す気になれないでいる。
家の中では暖かいのはありがたいんだけど、外に出た時に「冬だなー」という寒さを感じられる日が、まだまだ少ないのが、冬の寒さが好きな身としてはちょっと寂しい。
でも、やみくもに寒いのが好きなわけではないのよ、当たり前だけど。
今まで60年近く生きて来て、「あの時はホント―に寒かった、辛かった」と思い出すことが、ぱっと考えて2度ほどある。
どちらも学生時代。
1度は、12月の冬休みに、なんかの映画のエキストラのアルバイトに参加した時。
モブの1人だったんだけど、人がバラバラっといる、という情景を遠くから撮る(俯瞰で撮るってやつ)のに、人の散らばり方に監督がこだわって、何十人といるモブの一人ひとりの位置を助監督が、遠くにいる監督&カメラマンと私たちの集団の間をいちいち走って行き来しては確かめながら決めて行くという作業が延々続いて、夕方から始まって段々暮れて来るにつれて寒くなってきて、なんか12月にしては軽装な服だったのもあって、アスファルトの道に立ったまま決められた位置からは動けず、どんどん、どんどん冷えてきて、立っているだけの足が冷えすぎて痛くなって感覚がなくなって、本当につらかった。
もう一回は、やっぱり冬休みに友達の家にお泊りに行った時。
フローリングのリビングに石油ファンヒーターで、友達数人と徹夜でダベっていた(って、今は言わない?)ら、深夜になってファンヒーターの灯油が切れて。
灯油は物置に入ってて、親がカギを持ってるから朝にならないと足せない、とのことで、もうそこからは冷えて冷えて、歯がガチガチ言い出しておしゃべりもままならなくなって。
朝になって灯油が足されたような気はするけどそれで温まったという記憶はなく、そのあと朝の通勤ラッシュの電車で帰宅したその電車のあったかさに生き返った気がしたことを強烈に覚えていたり。
あそこまでの寒い思いは嫌だけど、でもやっぱり冬が好き。
去年の冬も、寒くなるのを待ち焦がれた気がするけど、今年も。
そして、やっぱり温暖化なのね、と今年も悲しい気持ちになる。
昔は四季の気候の差がもっとはっきりキッパリしてたよね・・・と、昭和生まれが平成の最後の冬に寂しく思うのはそんなことだったりして。
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