6年前に自ら命を絶った友人の、今年は七回忌だった。
法要は内輪でされるとのことだったので、命日にお花を送らせていただいたのだが、先日そのお返しとともに、お母様からお手紙をいただいた。
短い中に、何年経とうとも決して薄れることはないだろう想いが綴られていて、今更ながらに改めて絶句してしまいお返事が書けないでいる。
親、というのは子供のことを一番わかってるつもりでも、大人になった子供が家の外でどんな顔をしているのか、ということは案外わからないものだ。
友人は、都内に実家がありながら家を出て一人暮らしをしていた。
自分から望んで一人暮らしをしているのであれば親は、親としてはさみしいながらも本人はのんびり気楽に暮らしているものと思うのが当たり前であろう。
ましてや、母と息子であれば、もう愚痴を聞いてもらったり悩みを相談したりなどということはなかっただろうと思われる。
けれど、私の知っている彼は、実はかなり前から危うかった。
彼が逝ったのは42歳の時だったが、そのおよそ10年ぐらい前から、あることをきっかけに明らかにそれまでと様子が変わった。
感情をあまり表に出さない、いつもにこにこと穏やかな表面上は変わりないものの、口数が少なくなり自分の将来にはもう希望を持っていないようなことを口にすることが増えた。「死」なんて所詮肉体が形骸化するだけのことで、恐れることでもなんでもない、ということもよく言うようになっていて、もともと他人に乱れたところを見せることのない、いつも冷静で客観的な人だったから、そういう人が穏やかにそういうことを言うのは怖いことだった。本人はジョークのつもりだったかもしれないが、この人ならやりかねない、という怖さを感じていた。
それでも、だ。
それでも、まさか、本当にそれをしてしまうなんて、やっぱり夢にも思っていなかった。
その10年の間に、ほぼ2年置きぐらいに会っていが、会うたびに、どうしてもどこかさみしげに見え、今何を考えどんな気持ちでどんな暮らしをしているのかなと思いつつ、会う時にはいつも大人数なので、席が遠かったり女友達との話に忙しかったりで思うように話せないまま、結局最後まで大して話のできないまま終わってしまった。
私の知る、そんな彼の様子を、いっそのことお母さまに伝えるべきなんだろうか、と迷う。そんなこと伝えても、何の救いにもならないだろうし、むしろそんなに前から辛かったのか、とさらにお母様を苦しめることになるのかもしれないと思う。だけど、そういうことであっても伝えたほうがいいのかもしれない、とも思う。自分が親だったら。どうだろうか。
七回忌となった今、残された者には辛いけど本人は納得して逝ったんだ、という心の整理がついているならともかく、「なぜ」という気持ちが消えることなく苦しんでいるのであれば、私は知っていてお母様の知らない彼の様子を、どんなことであれお伝えするべきなのかもしれない、いや、でも・・・、と。
彼とは、学生の頃は「もういっそのこのまま付き合っちゃおうか」と言い合うくらいいつも一緒で、学校で話し、帰宅してからは電話で長々と話す間柄だったのに、大人になってしまうとどうして若いころのようには行かなくなってしまうのだろう。
私は、彼に対しては大人になんかならず、若いころの調子で「変なこと考えてないよね!ダメだよ!」と言えばよかったと、むしろ言わなきゃいけなかったんじゃないかと、その悔恨は生涯消えることはないだろう。
亡くなったのは2003年が明けて間もなくの頃。
どんな気持ちで新年を迎えていたのか、なぜその日に決めたのか、その日までどんな気持ちで身辺整理を進めたのか、誰にも何も語ることなく何一つ手がかりを残さず黙って逝く、その気持ちをわかりたいと思っても、どうしてもたどりつけない。
すべてに絶望して悲しみの中で日々を過ごしていったのか、すっかり気持ちの整理がついてしまい案外さっぱりと逝ってしまったのか。
私は、彼ならば案外後者のような気もするのだが、お母さまにとってはどちらの方がせめて慰められる想像なのかもわからない。
普通なら、不祝儀のお返しが届いたことに対して「届きました、ありがとうございました」という連絡は不要なのかもしれないが、単なるお香典返しではない意味のあるものを、お手紙を添えていただいている。
お返事は書かねばならない。どうしたものか。
法要は内輪でされるとのことだったので、命日にお花を送らせていただいたのだが、先日そのお返しとともに、お母様からお手紙をいただいた。
短い中に、何年経とうとも決して薄れることはないだろう想いが綴られていて、今更ながらに改めて絶句してしまいお返事が書けないでいる。
親、というのは子供のことを一番わかってるつもりでも、大人になった子供が家の外でどんな顔をしているのか、ということは案外わからないものだ。
友人は、都内に実家がありながら家を出て一人暮らしをしていた。
自分から望んで一人暮らしをしているのであれば親は、親としてはさみしいながらも本人はのんびり気楽に暮らしているものと思うのが当たり前であろう。
ましてや、母と息子であれば、もう愚痴を聞いてもらったり悩みを相談したりなどということはなかっただろうと思われる。
けれど、私の知っている彼は、実はかなり前から危うかった。
彼が逝ったのは42歳の時だったが、そのおよそ10年ぐらい前から、あることをきっかけに明らかにそれまでと様子が変わった。
感情をあまり表に出さない、いつもにこにこと穏やかな表面上は変わりないものの、口数が少なくなり自分の将来にはもう希望を持っていないようなことを口にすることが増えた。「死」なんて所詮肉体が形骸化するだけのことで、恐れることでもなんでもない、ということもよく言うようになっていて、もともと他人に乱れたところを見せることのない、いつも冷静で客観的な人だったから、そういう人が穏やかにそういうことを言うのは怖いことだった。本人はジョークのつもりだったかもしれないが、この人ならやりかねない、という怖さを感じていた。
それでも、だ。
それでも、まさか、本当にそれをしてしまうなんて、やっぱり夢にも思っていなかった。
その10年の間に、ほぼ2年置きぐらいに会っていが、会うたびに、どうしてもどこかさみしげに見え、今何を考えどんな気持ちでどんな暮らしをしているのかなと思いつつ、会う時にはいつも大人数なので、席が遠かったり女友達との話に忙しかったりで思うように話せないまま、結局最後まで大して話のできないまま終わってしまった。
私の知る、そんな彼の様子を、いっそのことお母さまに伝えるべきなんだろうか、と迷う。そんなこと伝えても、何の救いにもならないだろうし、むしろそんなに前から辛かったのか、とさらにお母様を苦しめることになるのかもしれないと思う。だけど、そういうことであっても伝えたほうがいいのかもしれない、とも思う。自分が親だったら。どうだろうか。
七回忌となった今、残された者には辛いけど本人は納得して逝ったんだ、という心の整理がついているならともかく、「なぜ」という気持ちが消えることなく苦しんでいるのであれば、私は知っていてお母様の知らない彼の様子を、どんなことであれお伝えするべきなのかもしれない、いや、でも・・・、と。
彼とは、学生の頃は「もういっそのこのまま付き合っちゃおうか」と言い合うくらいいつも一緒で、学校で話し、帰宅してからは電話で長々と話す間柄だったのに、大人になってしまうとどうして若いころのようには行かなくなってしまうのだろう。
私は、彼に対しては大人になんかならず、若いころの調子で「変なこと考えてないよね!ダメだよ!」と言えばよかったと、むしろ言わなきゃいけなかったんじゃないかと、その悔恨は生涯消えることはないだろう。
亡くなったのは2003年が明けて間もなくの頃。
どんな気持ちで新年を迎えていたのか、なぜその日に決めたのか、その日までどんな気持ちで身辺整理を進めたのか、誰にも何も語ることなく何一つ手がかりを残さず黙って逝く、その気持ちをわかりたいと思っても、どうしてもたどりつけない。
すべてに絶望して悲しみの中で日々を過ごしていったのか、すっかり気持ちの整理がついてしまい案外さっぱりと逝ってしまったのか。
私は、彼ならば案外後者のような気もするのだが、お母さまにとってはどちらの方がせめて慰められる想像なのかもわからない。
普通なら、不祝儀のお返しが届いたことに対して「届きました、ありがとうございました」という連絡は不要なのかもしれないが、単なるお香典返しではない意味のあるものを、お手紙を添えていただいている。
お返事は書かねばならない。どうしたものか。
Happy Birthday
2004年7月10日 友達Dear S.
次の世界に行ってしまったあなたに、この世界でのお誕生日のお祝いを言うことは、いけないことなのかな。
でも、あなたがこの世界に生まれてきたことは、たくさんの人にとって喜びだったはずだから。
もちろん私にとっても。
だから伝えます。
お誕生日おめでとう。
あなたの決心を責めてはいけないんだって言い聞かせる日々だけど、やっぱりどうしても今日は言わせて。
一緒に歳をとっていきたかったよ。
次の世界に行ってしまったあなたに、この世界でのお誕生日のお祝いを言うことは、いけないことなのかな。
でも、あなたがこの世界に生まれてきたことは、たくさんの人にとって喜びだったはずだから。
もちろん私にとっても。
だから伝えます。
お誕生日おめでとう。
あなたの決心を責めてはいけないんだって言い聞かせる日々だけど、やっぱりどうしても今日は言わせて。
一緒に歳をとっていきたかったよ。
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