来月から生活が一変するかと思うと、心なしか緊張の毎日だったりする今日この頃。
家でパソコンやゲームでリラックスしようかと思っても、このところどっちにも子供たちが常に張り付いている状態−バソは息子がラノベもどきを書くのにハマっていて、ゲームは娘が新しいのを仕入れて来た為−で、じゃあこういうときこそ読書に集中しよう!と本を開くといつの間にか夢の国に行っている・・・どうやら「女の子の日」が近かったらしい(最近、かなり不順になってきてる46歳なので予測がつきません)

そんなわけで、最近の唯一のリラックスタイムは、珍しいことに会社でのランチタイムのお喋りだったりする。
人数が一人増えるだけで、雰囲気も新鮮になって、話も広がるし盛り上がるんだよねー。
そんなランチタイムに聞いた「最近の中学校事情」。久々に学校に対して怒りを覚えたその話とは・・・。

新人さんには中学1年の息子さんがいて、その子が学校で友達とちょっとしたトラブルを起こしてしまったらしい。

その顛末とは
・もともと新人さんの息子Aくんには同じクラブ内にそりの合わないBという友達(?)がいて。
・前々からAくんはBにちくちくこそこそしたイヤミや嫌がらせをされていて。
・Aくんは腹は立つものの相手にしないのが一番と親からも言われていたからずっとガマンしていて。
・しかしガマンの限界を超えることがあったのでAくんはBに手を上げてしまった。
→このことは教師に知れるところとなり、Aくんは放課後教師から説教を受けたが、この段階で家への連絡はなかった。新人さんはAくん本人の口からこのことは聞いていた。
・この翌日、学校に行ってみたらAくんの上履きがなくなっていた。
→で、この段階で学校から親に連絡があった。

学校曰く
1.上履きはみんなで探していますが、どうしてなくなったのかはわからないので=誰かが故意に隠したという証拠はないので、犯人探しのようなことはしません。
2.昨日のことについてはお宅のA君が全面的に悪い−相手を殴って鼻血を出させただけでなく、校則違反も犯している−
ので、家でもよくよく話をして反省させてください。

新人さんは「殴ったのはそりゃあうちの子が悪い、けど、学校には『喧嘩両成敗』っていう言葉は通用しないのかな」と言っていたけど、まさに同感な話だ。

犯人探しはしませんとか言ったって・・・タイミング的に言えば明らかなんじゃないの?
むしろBを呼んで「オマエじゃないのか?」と訊くぐらいなことは、するべきなんじゃないのかと思うんだけど。
大体、前々からそういう陰湿な嫌がらせが続いていたから、ついにAくんはキレたわけなんだから。
こういうときに、殴った方だけ責められて殴られた方はあくまで被害者としてお咎めなしっていう学校の片付け方には、どうしても納得いかない。

それと、「校則」。
この学校ではなんと、自分の教室以外は出入り禁止なんだとか。
しかも、自分の教室のある階以外への出入りも禁止されているそうな。許されるのは、授業のための教室移動の時のみ。

AくんはBとのいざこざを一旦のみこんで自分の教室に戻り、どうにも気持ちの治まりがつかずにBのいる教室にまで行ってBを殴ったらしいのだが、だからAくんは人を殴っただけでなく、Bのいる別の階の教室に行ったという「校則」を犯しているから二重に罪が重いんだ、という言い方を教師がしたらしい。

なんかもう、「正気デスカ?」と教師に訊いてみたい心境なんですけど。
こういう決まりややり方を、学校の教師って言う人種は本気で正しいと信じて行っているのかなあ?

私立ではなく、公立中学校の話です。
今の公立中学校の、これが常識なんでしょうか?

こんなことしてて、世の中良くなるわけがないじゃん!
ウダウダ言ってますが、私はそれでも会社が好きです。
なにより仕事が楽しいし。
それに、たとえ怒りであっても、感情が動くことを実感することは、気持ちがいいと思うのです。

でゅんさん、ありがとう。本当に、社会というところはいろいろ厳しいですけど、頑張りましょう。

**************

さて。
子供たちは夏休み中で、私は週末のホリデイ、のはずなのだが・・・・・。

高校3年の“現役受験生”は忙しい。
塾の夏期講習。学校の補講。そして「オープンキャンパス」
今時の受験生には「オープンキャンパス」なるものがあるのだね。志望大学の「見学会」みたいな。
「学校案内」や「学部紹介」をしてくれて、「模擬授業」などしてくれて「受験アドバイス」あるいは「相談会」などもしてくれて、そしてキャンパスツアーまで。
いやー、至れり尽くせり。
こんなものは私の頃にはなかった・・・と思う。
行った事、ないもん。
友達同士で「どうする?」なんて話もしたことない。
あったら面白かっただろうし、もっと早い段階で志望校を絞ることも出来ただろうなー、と。
「受験前に学校を視ておく」ということは、とても大事で必要なことだよね。
だってやっぱり自分も、「見た事のある大学」を志望したから。

私の出身校はサザンの出身校、なのだが、なんでそこにしたかと言えば、「見た事のある大学」がそこだけだったから「大学」と言えばそこしかイメージできなかった、ということがある。
いや、もちろん偏差値とにらめっこして数値からいくつかの志望校は選んだけど。
でも、偶然車で通りかかったときに正門の真正面から校内を見たときの景色が脳裏に焼きついて。
ぶっちゃけて言えば「ステキ!」と思ってしまって。
それで「あの門の中に入ってみたい、あの並木道を歩いてみたい!」と思ったわけで。

だから、実際に見て、「ここの学生になりたい!」と思えるものなら思えた方が、志望校選定にもとても役立つだろうし、目的が定まれば受験勉強もおのずとはかどる、というわけで、まさに「百聞は一見に如かず」である。

というわけで、この週末は娘の志望校に見学に行くわけなのだが、これが遠い・・・・・。
まあ、学校の先生から「ここら辺りでは、通学に2時間半ぐらいまでは常識」と言われたことを考えれば、1時間半ぐらいで行けるそこは全然問題なし、なんだろうけど、通学にも通勤にも30分以上かけたことのない私には、とんでもない距離に思えて。

学校選びで調べてみると、今はどこの大学も郊外に広大なキャンパスを持っていて、通うにはとてもとても遠い。
じゃあ、寮でもあるのか、と言うと、そういうものはない。
でも、こんな距離を通うとしたら、今時の学生はアルバイトどころじゃないよね。
学校帰りにコンパに繰り出す、なんてことも、容易じゃないよね。
自分の大学生時代を顧みて、あんなふうにお気楽なわけにはいかないのかもしれない・・と思う。
そういえば、このごろいろいろと話題に上るのは「高校生」特に「女子高生」が圧倒的だよね・・・。ファッションにしても行動にしても。
今時の大学生は、私の頃よりずっとずっと真面目になっているのかもしれない。
いや、真面目にならざるを得ない世の中、ということなのかも。
そう思うと、なんだか少しかわいそうな気がしてしまうなあ・・・・・。
※毒舌吐いてます。ご注意!

義務教育中、息子に関わってくださった先生サマ方

在学中は た・い・へ・ん・に お世話になりました。

現在息子は、“自学自習”がモットーのフリースクールに張り切って通っております。そんな学校なのでお勉強は家ですることが多く、もっぱら私がカテキョ状態で教えております。
国語、理科、社会、などなどは全く問題なく自力で出来るのですが、英語と数学・・・・・。
もう、笑っちゃうくらい壊滅的ですね。
親として知らなかったのは不覚でした。
先生はご存知だったんですよね?どうして私たち親に教えてくださらなかったんですか?

まあ、不覚と申し上げましたけど、全く知らなかったわけではありません。
教われば出来ることも教わってないなーというのは、よーくわかっておりました。
ただ私は、小学校1,2年時代の担任のあなたによって生じた二次障害の回復を第一に考えた結論として「家ではムリに勉強させない」という方法をとっておりましたので。
それに、将来難しい試験を突破しつつ進むような道は、この子にはムリなわけですから、それなら 最低限のこと さえ教わっていればいいや〜と考えていたわけです。
まさかその 最低限のこと すらも教わっていなかったとは思いもしませんでしたけど。

だって、学校でしょ?お勉強を教えるのがお仕事のところでしょ?
息子はLDでADHDですが、知的に遅れたりしてるわけではないのです。(先生方もそうおっしゃってましたよね?)ですから、ちゃんと教えてくだされば最低限のことぐらいは身に付くのですよ。
問題行動は確かにありましたね。でも、だからこその「障害児学級」なのではなかったのですか?「その子のペースで進んでいけるように」と。
息子のペースは、3年かかってもアルファベットの読み書きすらできるようにならないくらい、遅かったのでしょうか。

アルファベットの小文字がまったくダメなことは、当然ご存知でしたよねえ?。読めないし書けない。かろうじて大文字だけ。
数学、いや、算数は、分数、少数あたりから先がまったくわかっていません、いえ、わかっていないというより教わってもいませんよね。分数の「書き方」(下から上への順番で書く)すら知らないのですよ?
息子はいったい学校で、毎日何をしてたのでしょうか?

息子の状態が悪くてなかなか思うように指導が入らないってことも当然あったでしょう。
でも、いったい何年間ありました?診断が出てから7年、アルファベットのことだけだって、中学校3年間あったわけですよ。
書字障害の顕著な息子に、無意味な漢字の書き取りはやらせないでくれと、私は何度も申し上げましたよね?その時間をもっと有効に使って欲しいと。出来る部分を伸ばす為に使って欲しいと。
でも、どれほど訴えても漢字の書き取りばっかりやらされてましたね。
平仮名もきちんと書けないのに、アルファベットなんて10年早い、とでも思われましたか?

百歩譲って、3年間一生懸命教えたけどダメだったとしましょう。
でしたらなぜ「息子さんは3年かかってもアルファベットが憶えられませんでした」と親に報告してくださらなかったのですか。
「英語はアルファベットから躓いています。今後はそこから始める必要があります」と。

毎学期持ち帰るテストプリントは、それなりに答えが書き込んであって点数が付いてましたけど、あれはなんだったのですか?
あまつさえ腹の立つのは、中学3年になるときに「普通高校を目指しませんか」などとおっしゃったことです。
まあ、リアルタイムでもかなり頭にきましたけどね。
でも今改めて、アルファベットも書けない子供をどうやって普通高校に入れるつもりだったのか、教えてもらいたいものだと思います。。
何を考えて、どういうつもりであんなことをおっしゃったのですか?

「もりのくんは知的な遅れがあるわけではないし、頑張れば行けると思うんですよ。ただ、そのためには 今後は普通学級の方で授業も試験も全てみんなと同じように受けてもらわないとならないんですけど。 」

障害児学級に移るときには「何より息子さんのため」と言われたものでしたが・・・結局このときは、中途半端に健常である息子が、障害児学級ではお荷物になっていたのでしょうかねえ。「もっと大変な子がたくさんいるのに。この程度ならあとは自力でやってもらいたい」っていうことだったのでしょうか?

あんな甘言に乗って、普通学級に戻さなくてよかったと、今更ながらつくづく思います。
そんなことしてたら、今息子が言う「今までの学校生活で一番楽しかった」中学3年生時代というのはなかったでしょうから。

それにしても教師って言うのは楽な仕事ですよねえ。
「私は精一杯やりました。できないのはお宅のお子さんの資質の問題です」って言えば、それで通っちゃいますもんね。
あとは母親の責任。「そんなに出来ないなら、何で家でも教えないんだ」ってことですよね?

今更ながら、なんとムダな9年間だったのだろうと、虚しくて仕方がありません。
なにより息子が不憫なのは、そんな教師でも、とにかく「優しくしてくれた」というだけで慕っていたことです。
障害児学級の教師なんて、楽なもんですよね。普段辛いことの多い子供たちですから、ちょっと優しくすれば面白いように懐いたことでしょう。

これからは、私がしっかり見て行きます。先生方が適当なことをしてくださったお陰で、私は再び子どもと深く関わることができて、とても幸せに思っています。

息子のような子供はどんどん増えているようですが、私のように教師をナナメから見るような親は少ないでしょうから、そんな純粋で善良な親子たちを悲しませることのないよう、せめて教師としての最低限の義務だけは果たしてくださることを願います。

それでは、二度とお会いすることはないでしょうが、お元気で。

かしこ。
6時になっても息子が学校から帰ってこないので、学校に電話してみた。

回答:
「先に高校が決まった者に、奉仕作業として校内掃除をさせています。そのチェックが厳しくて、まだ学校におります。」

ぽか〜〜〜ん

ですわ、私。

どーゆー思考回路を持ってたら、こういう発想が出てくるんじゃ?
先に学校決まったらいけないんかい、ええ?!
「お前ら、自分はもう高校決まったからって浮かれてたらあかんでぇ〜。」という陰険な思考が見え見え。
高校決まった順に、解放感を味わったらいかんの?みんな決まるまで待ってなきゃいけないの?

思えば今朝、息子は学校に行くのを嫌がった。
その理由は、
「今日の6時間は、全て『卒業式の練習』だから」
朝から昼までの4時間、合同練習を行い、給食後は各教室で「自主練習」なるものをする、とのこと。

母「自主練習ってナニ?」
息子「卒業証書を受け取る練習を一人ずつするんだよ!」

ちなみに、卒業式は16日で、練習は今日に始まったことではありません。

公立の学校というのは、こういう無駄がほんとーにお好き。
娘の通う私立高校では、「予行練習なんて1日しかしないよ〜」とのこと。
それでいいのに。段取りさえわかれば、それでいいじゃんよ。

あー、息子の卒業でこういう「体質」とおさらばできることが、一番嬉しいわ〜、なんちゃって、てへ。

************************

さて、今日はこれから東京に向かいます。
娘と二人であさっての「遙か祭」に行くために!
石田さーん、保志くーん、三木さーん、おっきー、宮田くーん、
関智さーん、ナオくーん、和彦さーん、中原さーん、待っててね♪
PTA活動、今日が最終日でした。
あと10日あまりで下の子が中学を卒業するということは、親として、子供の学校に関わること自体が今日で終わり・・・ということです。

とりあえず、

はあぁぁぁぁぁ〜〜〜

という安堵の溜息。

それから、自分の卒業式とはまた違う種類の寂しさ。

今年のPTAは、幼稚園からずっといっしょだった人が一緒でした。
特別親しかったわけではないけど、上の子も下の子も同じ学年で、学校がらみの行事の時にはいつも顔を合わせていた人で。
最後の年にそういう人と一緒だったのは、今日まで来てみるととてもよかったなあと思います。
今日、最終日ということで、部会の後にささやかなお食事会をして、中学のPTAは決して楽しく活動できたわけではなかったけど、
みんななんか名残惜しくて、解散になってからも教室でおしゃべりが続きました。

「今になってみると、早いねえ・・・。幼稚園から今まで・・・いろいろやってきたよねえ・・・」

そんなこと言われたら、熱いものがこみ上げてきちゃうじゃないよぉ〜(;_;)

でも、そういう思いを共有できる人がいるということは、幸せなことだなーと。

もうすぐ春。
一人一人にそれぞれの変化が訪れる季節。
でも、日々は変わらず淡々と流れていって・・・。
みんなは、私たちは、どんな風になっていくのでしょう。
なんだかとっても切ないです。
中学校のPTAの仕事で、通学路の安全指導というのがある。
朝の通学時間帯にPTAの役員が校区内の通学路の各所に立ち、通学時の安全を観察(?)する、というものだ。
以前にやったときも、車通りが多く歩道のない道を自転車で通学してくる光景があまりに危なっかしく、そのことを1学期終わりの懇談のときに訴えると「今まで事故が起こってない道がそこだけだから」という学校の答えのあまりの単細胞さに脱力したものだったが・・・。

今回は、自転車通学者用校門の入り口が担当だった。
この校門前の道は朝のこの時間、車通勤者の抜け道のようになっていて、結構車の通りが激しい。
学校側には歩道があるのに、なぜか通学の自転車はみんな歩道のない向こう側を走ってくるので、そばに立っていた教師に「なんで手前で歩道側に渡ってこないのか」と聞くと、歩道側には何本か道が交差していて、以前そこから出てくる車と接触事故があったから、そういう心配のない向こう側を校門前まで走らせている、とのこと。確かに向こう側は歩道はないが川沿いなので交差する道もない。

でも先生、川沿いを走る自転車の脇スレスレを車が通る様子は、いつ接触してもおかしくないように見えるんですけど・・・
だったらこんな、門の前で「校門前で規則どおりに自転車から降りているか」をチェックするより、子供を歩道側に渡らせて、親や教師が交差点に立って安全確認をしてやったほうが賢いんじゃないんでしょうかねえ・・・(以上、心のつぶやき)

大体、なぜ校門前で自転車から降りなければいけないのかが、私にはよくわからない。
自転車通学者は全てここから校内に入ることになっているので、門を入ったところで左右あるいは前方から来た者とぶつかる、という心配もないような気がする。
校門前には一応1メートル幅ぐらいの歩道があるけど、生徒はそこで一旦自転車から降りるので、通学者が数人たまると順番待ち状態になって車道にはみ出す。
門の数メートル手前は信号のない交差点になっているので、勢いよく車が曲がってきたら当たるのではないかと思うのだが・・・。

そして今回私をキレさせたのは・・・。
自転車通学者用の校門は、入るとすぐ短いスロープになっていて、スロープの下に溝があるのだ。
幅は狭いが結構深い溝で、蓋もしまっていないので「危ないんじゃないの?」と思ってさっきの教師に「あそこ、危ないですねえ。いつもは蓋がしてあるんですか?」と聞いてみた。
すると。
「あれは、自転車を降りずに乗ったまま走りこんできたらここにハマって危ないぞ、ということで、ああいう風にしてあるんです」

はぁ???
なんですか、その発想は?

(心の叫び)

じゃあ、なにか?
実際に「規則を破って」自転車に乗ったまま走りこんできて、あの溝にハマって怪我でもしたら「そら見ろ!自業自得じゃ!」とでも言われるんだろうか。
そんなことになったら学校の安全管理の責任問題になるんじゃないの?
あ、そーか。だからここで事故がおきないように親や教師が立って「ちゃんと自転車から降りているか」をチェックするってワケね。
車との事故だったら一番の責任は運転手にあるんだもんね。

あー、腹立つ。学校っておかしいよ。
PTAの行事「地域懇談会」が行われる。
夜、夕食の支度をした後に集まれるぐらいの時間に、親と学校の先生が地域の公民館などに集まって懇談する、と言うもの。

教師との懇談など、PTAの役員をやってなければ死んでも行かないところだが、今年は仕方がない。
とにかくおとなしくしてよう、と思いつつ、行く。

各地域で行われていて、教師たちも分散して参加しているはずなのに、校長を始め結構曲者の教師たちが来ている。保健室の先生もいる。

まず自己紹介、となった。
既にして私の中には悪魔的な気持ちが芽生えている。
校長も保健室の先生も他の教師たちも、学校の異端児である私の息子のことはよーく知っているはずだ。
そしてその生徒の「どうしようもない母親」のことも、障害児学級の担任からグチ交じりにいろいろ聞いていてよーく知ってはいても、おそらく顔は知らないはずだ。なんせ私は、教師のいる時間帯には学校には行かないから。(PTAの集まりは大体土曜日)
だから自己紹介のときに「○年×組と障害児学級の両方で 大変 お世話になっております、もりの息子の母親です」
と言ってやった。
すると案の定教師陣、それぞれが大きくうなづいて「ああ、この人が・・」と言う顔をする、という他の人には見せなかった反応を見せた。

そして懇談が始まる。
おとなしくしてよう、と思っていた。
教師たちはくだらない校則を世間の常識のように口にして、「我が校が他の中学に比べていかに生徒の管理が行き届いているか」という話を鼻高々に話す。
他の中学に行ってみると、すれ違っても挨拶もしない生徒が多く「なんだこいつら」と思うらしい。
それにくらべて我が校の生徒は、校内で誰とすれ違おうとも必ず大きな声で挨拶をする、ということがご自慢らしい。
同じ人と何度すれ違おうとも、何度でも同じように挨拶する、ということが、大変ご自慢らしい。

なんじゃ、そりゃ、と思う。
誰だかわからないおっさんは、たとえ他の学校の教師であれ、知らない者にとっては「不審者」でしかないだろうに。
どこの誰だかもわからないのに、「校内で出会う人間にはとにかく挨拶しろ」という指導が本当に正しいのか?
そして「とにかく言うとおりにしてりゃうるさくないから」とそれに従う生徒たちは、教師が思うほど優秀なのか?

靴下にはライン1本入っていても違反だという。ひとつを良しとすると、それならあれもこれもと芋づる式にルーズになるから、ライン1本といえども侮れないらしい。
靴下のライン1本を許したがために、いったいどこまでルーズになるというのかわたしにはわからない。

既に腰パンの男子も、スカートをウエストで巻き上げてミニにしてる女子も、眉をそりこんでいる子供たちも、たくさんいるというのに。
「困った現象」といいながら、取り締まりきれてないくせに、校則の厳しいことを自慢げに言う感覚がわからない。

最近の整髪料は「無香料」でサラサラしてるからやっかいだという。
男子の髪がつんつんたっていても、寝癖なのかセットしてるのか、匂いを嗅いでも水で濡らしてもわからないから悩むそうだ。
そこまでしてもわからないものを、なぜ取り締まらなければならないのか、ということに、私は悩む。
天然パーマの強いうちの息子など、髪が膨らむのを防ぐために整髪料を使う。それでもつんつんしていて整髪料を使っているのがわかったら「お前、セットしてるだろう」と言われるんだろうか。

しかしその辺りはまだ、こぶしを握り締めて黙っていた。
こんなことで突っ込んでも、価値観が根本から違うから無駄だとわかっているから。

しかしその後、危機がやってきた。
あるお母さんが自転車通学の範囲について質問した。
うちの地域は田舎なので、校区がかなり広く、徒歩3〜40分ぐらいのところはまだ自転車通学が認められていない。
なのでそのお母さんは「範囲を広げて欲しい」という要望を口にしたのだ。
最初の校長の答えはこうだった。「自転車置き場の広さの問題もあって、現状増やすことができない」
ぴくっときた。「自転車置き場の広さ」だぁ?
置くとこないから歩いて来いってか?
思わず訊いていた。「自転車置き場の広さが基準なんですか?」
「そうです」と言い切る校長。
続けて「自転車置き場の広さが基準で歩かされるって言うのは、子供立場で考えたら・・」と言いかけた私の目は三角になってたのだろう。
他の教師があわてて「いや、まず距離の基準があるんですよ」と口を挟んできた。
なぜそれを最初に言わないのか。
今、半径○キロメートルが基準になって自転車通学範囲が決められているのだ、と。その基準を崩すことには周りの誰もが納得する理由がないとなかなか難しいのだ、と。
そういう客観的に正当な理由が最初に、というか、横から口を挟んでもらわないと出てこないということ自体に、本音がどこにあるか、ということが透けて見えてしまう。

そもそも自分たちの給料がどこから出ているのか、という意識のない公務員教師など、結局この程度だ。自分たちは車ですいすい通勤してきて、子供たちの負担などへとも思わないばかりか、「子供なんだから」その程度で十分と思っている。

その後、通学路の話が続き、いつも「危ないのになぜここを通すんだろうか」と誰もが思っている道について聞いてみると、「あそこでは以前に事故があった、あっちには信号がない、向こうは踏み切りを通らなければならない、こっちは下校時刻が遅くなったときに街灯がない」という消去法で、「現状、まだ事故が起こったことのない箇所」がそこだけ、という理由だった。
ではあそこで接触事故のひとつでも起これば、もう子供たちは学校に行く道がなくなることになる。
安全指導というものは、危ない箇所を通行禁止にすることではないんじゃないの?
しかしその辺を突っ込むと「自治体にいろんな要望は出しているが、なかなか改善『してくれない』『してもらえない』」と、とたんに他力本願な口調になる。

私も教師も、顔は笑っていたが口調は全然笑っていなかった。
不穏な空気を察したPTAの会長が「そろそろ時間も遅くなりましたので・・」とうまく締めてくれて、私もなんとか爆発せずにすんだが、あのままやり取りが続いていたら本当に危ないところだった。

やはり教師は天敵だ。
そして私はやはり、かわいい子供たちを敵から守っていかねばならないと決意を新たにしたのだった。
娘と大学受験のことで口論になる。

娘は、大学に行きたいという希望はある。
やりたいこともはっきりしている。
しかし、そのための努力をしない。
そこんところが、「受験戦争時代」を生きてきた母には、どうにも頼りなくて仕方がない。

娘の言い分は「学校の勉強はちゃんとやってる。」
確かに、今回の中間試験では2教科での100点をを含め、総合的に昨年度より良い結果だった。
学年順位もかなり上の方であることはわかる。

しかし、しかしなのだ娘よ。
あなたの学校は進学校ではないのだ。
学校で「受験のための勉強」は教えてくれないのだ。
学校自体のレベルは決して高い方ではないし、付属大学があるからそっちに進学させることが指導側の原則なのだ。
だからあなたは、先生との面談では「よくやってる、まったく心配ない」と言われるけれども、でもあなたは、外の大学に行きたいんでしょう?
やりたいことがあって、そのための学部が自分の高校の上にある大学にはないから、だから受験することに決めたんでしょう?

だったら「受験勉強」にそろそろ取り掛からなければいけないんじゃないか、と、母は思うのだよ。
「100点を褒めるそばから勉強しろって言う」とあなたは反発するけれど、望む結果につながらないような頑張り方をしても、後々むなしい思いをするだけなんじゃないかと思うのだよ。

娘の素質としては、非常に頑張り屋なところがある。
そしてやればやっただけの結果を出せる能力もある。
しかし、彼女の努力は往々にして的外れなことが多いのだ。
それがどういうことかといえば、親からの目には「一番辛いところを避けている」ように見えて仕方がない。
山の頂上を目指しているのに、坂道が険しくなりかけると横道へ逸れてしまうので、結果的にいつまでたっても頂上にたどり着かない。
どれだけ長い時間かけて歩いても頂上に着かないので、疲れてしまって「こんなに頑張ってるのに」という気持ちばかりが膨らんでしまう。
そんな風に見えて仕方がないのだ。

そろそろ覚悟を決めようよ。
あと1年半しかないんだよ。
長い人生の中のたった1年半、でもその「たった1年半」はあなたの人生に大きく影響する大事な1年半でもあるんだよ。

息子が軽度発達障害を抱えているのがわかってからは、「子供の成長は長い目で」というのが私たち親のモットーとなり実践してきたつもりだが、今回ばかりはこれ以上待てない。
これからは心を鬼にして娘の尻を叩いていく。
9年前、幼稚園で。
「お宅のお子さんはみんなと同じようにできない→おかしい→親の愛情が足りない」

小学校に入ると
「自分はおかしいと自覚してもらいたい」と、担任による数々のいじめ。
息子は確かにおかしくなって、毎晩夜中に叫び声をあげたり、人に噛み付いたりするようになりました。

「LDだと思うから、診断受けてきてください」
はい、受けてきました、確かに「視覚認知のLDで書字障害あり」と言われました。
「それじゃあ、障害児ですから、障害児学級に移ってください。
移ってくれなかったら学校はお宅の息子さんになにもしてあげることはできません。」

担任の指示でクラスをあげての息子いじめがあったので、障害児学級に移しました。
その時点で私は、学校の勉強についてはあきらめました。
息子が持ってるいいところ全部と、学校の成績を引き換えにはできないと思ったからです。

障害児学級はのんびりしたところなので、息子の状態は数年で落ち着きました。
教師は、「無理せず、息子さんのペースでできることをしていきましょうね(にっこり)」と、
学年の学習進度を無視して、小学校低学年レベルのことを息子にやらせ続けました。

親としての学校への要望、
・知的な障害があるわけではないので、できる教科については学年の進度に合わせた学習をさせて欲しい
・字が書けないのは書き取りを怠けているわけではなく、脳が読み取ることができない障害なのだから、無理強いさせないで欲しい
はまったく無視され、
「勉強は無理せず」と、いつまでも小学校低学年レベルの課題しか出されず、
「字ぐらいかけないと大人になってから困るでしょ」といつまでもしつこく漢字の書き取りをさせる、
ということの繰り返しで小学校卒業。

中学も当たり前のように「障害児学級でいいですね」
「マイペースでやっていきましょうね」
もちろんです。
学校の勉強なんてどうでもいいです、息子が毎日楽しく学校に通えれば。
自分はなにもできないダメダメ人間なんだ、なんて思うようにならなければ。

ところが中学2年になると。
「息子さんは知的な障害があるわけではないのですから、普通高校を目指してはどうですか。その場合、在籍は障害児学級のままですが、授業や試験は全て普通学級で、みんなと同じものを受けてもらいます。」

はぁ?
オタク、何言ってんの?

私は教師にはっきりきっぱり言いました。
「普通高校は考えていません」

すると教師は、ターゲットを変えた。
夫に。
夫はいとも簡単に教師に懐柔される。
「息子のことを考えてくれているんじゃないのか。
普通高校にいければ、それが一番いいんじゃないのか」

普通高校になんて、行かれません

まず、普通学級で全ての授業を受けることが無理。
あなたの息子は漢字もアルファベットも書けません。
分数の計算もできません。
桁数の多い筆算も無理です。
図形問題なんて、もってのほか。
以上、視覚認知障害ゆえに。
そして、短期記憶障害、というのもあるので、
暗記も難しいです。

教師は何を考えているのか。

「受験して、合格すると思いますか。
受かるとしたら、どんな学校があるんですか」
と訊くと、
「うーん、そうですねえ・・・」
と言った後、話題が変わります。
そしてまた、「みんなと一緒に学力テストを受けましょう。どうしても嫌だというのなら、家庭訪問させてもらいますので、本人も交えて話し合いましょう」

私は断りました。「いまさらそんなテスト受けても、意味ありませんから」
その私の返事は無視されました。
夫が返事を書きました。
するとどうだ。
「そうですね、私たちもそうは思っていたのですが、一応親御さんにも確認をと思ったまでです。」

なんなの、それは。
じゃあ「家庭訪問」ってのは、なんなの。

いったいあんたらは、息子をどうしたいの?

おかげさまで、息子はとってもいい子に育ちました。
心優しく、ユーモアもあり、周りを楽しませることのできる子です。
考える力もあります。いろいろ歳相応に悩んだりもしてます。
発想が面白く、はっきり言って、そのへんの子供より賢いです。
感受性が強く、映画を観て泣いたり、音楽を聴いて感動したりできる子です。
そういうこの子の良いところを失わずにここまで来れてよかったと、私はほんとにほっとしているのです。
目玉焼きもインスタントラーメンも作れるし、買い物にも行けるし、電車を乗り継いで都会に出て行くこともできます。
勉強なんてできなくても、生きていけます。

だからもう、ほっといて。
私の子供は私の考えで育てますから。
ちゃんと責任とりますから。
あなたたちに心配してもらわなくてもいいですから。

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