東京で独り暮らしの弟(58歳)が、コロナ発症しました。

今日までの経過を書き留めておきます。

7/31(土) 発熱 37度台。特にしんどいこともなく、風邪かな~ぐらいに思っていたそう。

月曜日になっても下がらないため、念のためPCR検査のできる病院に。
レントゲンと血液検査とPCRがセットになっていて、レントゲンで肺炎の徴候があるので可能性は高いと言われる。

8/3(火)検査結果は、陰性。一旦安心するも・・・

8/4(水)依然として熱が下がらず、だるさが出てきて味覚もおかしくなってきて、やっぱりヤバいのでは、と別の病院で再度PCR検査、当日中に結果が来て 陽性、変異株だったとのこと。

8/5(木)「陽性だった・・・」と連絡が来る。咳と痰、胸痛が出てきたとのこと。
Amazonでポカリとアイスクリームを手配し、スーパーで食べられそうな物を買い集めてダンボール2箱、送る。
夜になっても保健所から連絡がないとのことで、東京に出張中の夫に会社近くの家電量販店でパルスオキシメーターを買って届けてもらう。絶対に直接会わないで、ドアノブにも触らないで、と厳重注意して置き配で。
その日の酸素量は96~97と正常。

8/7(金)夜になって酸素量が94まで下がったので救急車を呼ぶも、状態は軽い方だからとのことで病院には行けず。「今は、酸素量90未満にならないと入院の対象にならない」とのこと。

8/8(土)8/9(日)、毎日朝晩電話で様子見。午前中はまだ調子が良さそうだが、夜になるとしんどくなるらしく、酸素量も下がるので、不安になって連日救急車を呼ぶが、すぐ来てくれるも病院には入れないと言われて自宅に戻るという繰り返し。酸素量がじわじわと下がっている感じ。
昨晩は連絡取れず。

今朝、「解熱剤が効かなくなってきてしんどい」とメール。
「昨夜も救急車呼んだんだけど、なんせ酸素量が90切らないとダメらしい。咳が止まらないような人も自宅療養してるんだって」
電話して、こうなったらもう体力勝負だから、食欲なくてもしっかり食べて、と言うと、味覚がおかしいせいか、気持ち悪くて食べ物を全く受け付けないとのこと。
ごはんも食べずに薬ばっかり飲んでたら、今度は胃がやられるよね。
声もかすれてきていて、酸素量も90まで下がることもあるけど、波があるんだよね~と。
肺炎が悪化してるんだろうと思われ、気が気じゃないです。
ほんとにもう、死にそうにならないと病院には入れないのかもしれない。

陽性が出たら病院にもかかれないから、薬ももらえず、身体もしんどくなってきて買いに行くこともできず、となります。
今日、こっちで市販薬買って送ろうと思ってます。

水曜日に陽性判定でて、保健所からの連絡は昨日の日曜日でした。
入院の順番待ちを申し込んだそうです。

とにかく、急変しないことを祈るのみです。

弟は、お酒も飲まないし人づきあいもほとんどなく、食事も自炊、通勤ラッシュが嫌いで早朝の空いてる時間帯に出勤するような生活なのにかかりました。
ひとつだけ心当たりがあるとすれば、朝食だけは会社近くのコンビニのイートインを利用していたこと、だそうです。

一旦陰性が出てるので、会社が休みにくい人は多少しんどくても「陰性だったし」と外に出てる人がいると思います。
独り暮らしだと、買い物に行かざるを得ないこともあるでしょう。

もう、いつどこでかかってもおかしくないと思います。
皆様、ほんとに最大限のご用心を!




今、朝の7時。明け方4時前に帰宅した娘が、出勤していきました。

タクシーで帰宅し、夕食を食べる時間もなかったといいつつ、慌ただしく着替えてベッドに入り、2時間半ほどで起きて出勤です。
朝ごはんを食べる時間がないというので、ミルクを沸かしてカフェオレを作り、これだけは飲んでけ、と半ば強制的に飲ませましたが。
お化粧を済ませて「5分余った」とアラームをセットした携帯を握りしめてソファで目をつむり・・・
7時にアラームが鳴ったのですが寝息を立てていて起きません。
が、起こすのがためらわれました。
もう、いっそこのまま寝入って寝坊してもいいんじゃないの、と。
しかし、5分後、あかない目を無理やりあけるようにして家を出ていきました。

先週末はついに土曜日出勤の上、翌日の日曜日は家で1日中仕事。
夕飯はお鍋にしたのですが「煮えたら呼んで」と言われ、「できたよ~」と呼ぶと慌ただしく食べてまた部屋に戻って行きました。

娘は会社帰り、毎日必ず「帰るメール」をくれるので、1月からの帰るメールは全部残っています。
それを見ると、1月中はまだ、4時間程度の残業で帰ってこれていたのが、2月に入ってからはほとんど毎日5時間、その時間だと電車は終電で、家に付くのは12時前後です。

親としてはそのあたりでいい加減カリカリし始めていたのですが、ここ数日の状況から、さすがの夫も「ちょっと考えた方がいいな・・・」と言い始めています。

これだけ働いていても、残業代はつけてない、つけれないとのこと。
日曜日に、「今のペースでは続かないことを上司に話し、残業代は、せめて半分でも申請するようにするようにしなさい」と諭し、明日出勤したらそうする、と言っていたのですが、実際会社に行ってしまうとそういうことができる雰囲気ではないようです。

娘の直の上司が、そういう働き方で10年近くだか10年以上だか、部を引っ張ってきた女性上司で、娘もその人のようになることを期待されているようです。

そんな会社に都合のいい社員になるな、と言うは易しはわかっていても、言わずにはおれません。

今日は得意先に直行し、夕方帰社のあと、夜7時から別の得意先との打ち合わせがあるとのこと。
ちなみに、定時は9時~17時半なのですが・・・
その得意先から「この後飲みに行きましょう」と言われたら断われない、というので「寝てないって言って帰ってきなさい、とにかく今日は早めに帰ってきなさい」とそれしか言う言葉がみつかりませんでした。

私も完徹となったので、これから少し寝ます。
さすがにこの歳で完徹はキツイですね・・・めまいがしますわ・・・

そうそう、蛇足ながら、娘の職種は営業職ではありません。営業なら、打ち合わせ後の接待というのもわからないでもないですが・・・
「探偵はBARにいる」を“映画仲間”の息子と楽しく観に行ったのは先週の事。

それはもう、遠い遠い遥か昔の思い出になってしまった。

息子と“映画仲間”の時代も終わった。

私自身も変わってしまったような気がする。

息子と映画を観に行く日が、再び来るとも、今は思えない。


人間も、成人したら親元を巣立つべきだなーとつくづく思う今日この頃。

フルタイムの仕事を辞めて、ほぼ毎日を家でのんびりしている私。
でも、心に余裕が出たからかなんなのか、ここでもいくつか書いたように最近いろんな音楽が心に響いて、その中からいくつかのCDを買ったり、読みたいと思っていた本をまとめ買いしたりした。

そんな私に娘が一言。
「仕事やめたって言うのに、最近金使いが荒くない?」


・・・・・・・・・・イラッ(-"-)


あんたが私と正反対の締まり屋さんだってことは重々承知してるけどもね・・・あなたにも、私は「お金は使うもの」と思ってる人だってことを理解してもらいたいもんだよ。


はたまた、今日は。
朝から、ここ2日で洗濯乾燥機を回しに回した結果の洗濯モノたたみに精を出し、出来あがったモノを各自の部屋へ。

娘のモノはかごに入れて部屋に置いとくんだけども、部屋に行ってみると前回置いたものがそのままになっていて、いやいや良く見るとかごに入っているのは前々回かもっと前ので、その上にその後のモノが積み上がっておる。

さすがにもう娘の部屋は基本的にノータッチにしているので、普段部屋の中まで入ることはないんだけども、今日は長雨も上がったし、ついでに部屋に風を通そうかと部屋を横切って窓辺まで行ってみると、その途中にいろんなものが点々と置きっぱなし。
出張に行った時のバッグが、中身を出したまんまで口あけてたりとか・・・明らかにもう着ないと思われるフリースのパジャマが放り出されてあったりとか・・・

そんな風に余りに雑然としているので、洗濯ものぐらい引き出しに放り込んでおいてやるか、と下着入れになってるはずの引き出しタンスを開けてみると、なんと、アウター類がぎゅうぎゅう詰めに。

娘の部屋には昨年までは、服をハンガーにかけて吊るすタイプのキャビネットと、子供用の小さな引き出しタンスがあったんだけど、昨年就職したのを機会に、キャビネットを捨てて大人用のたっぷりした洋服ダンスに入れ替えた。
その時に、その小さな引き出しタンスにぎゅうぎゅう詰めになっているアウター類を新しいタンスの引き出しに移動して、空いた小さな引き出しタンスの方に下着や靴下などの小物をしまえばいいんじゃない?うん、そうだね、そうするわーって言ってたのに・・・・・もう1年になるのに、要するに全然整理してないのね・・・・


・・・・・で、母は葛藤しましたよ。しましたけども、堪え切れず、やっちまいました。
タンスの整理。そして部屋の掃除。


はー、すっきりした。すっきりしたけど・・・・・


これじゃあダメなんだよね・・・
親が便利で実家が居心地のよい生活って言うのは、成人した子供にとっては百害あって一利なしだわね。
昔は「どこに嫁に出しても恥ずかしくない娘に」育てることが親の一つの目安だったけれども・・・どうやら「どこに嫁に出しても恥ずかしい」娘に育ててしまったようで・・・・・(-_-;)

慰めてほしいの!

ただ、「酷い目にあったね、よしよし」って言ってくれればいいの!


もう!


今回の仕事のことで旦那に愚痴ったら、
「相手もヘンな奴だけど、それを判断できなかったあなたも軽率だったよね」


なんでそういう理屈を言ってくるかなあ。


今回のことを分析してほしいわけじゃないじゃん!


ああ、さみしい。


私はひとりぽっち(T_T)
楽しいクリスマス♪
本日は我が家のクリスマスパーティー。

・・・・・あっ、しまった、ケーキの写真撮るの忘れた~
今年はちゃんとした豪華なクリスマスケーキを買ったのに(去年のカマボコケーキは失敗だったから→http://lovingyou.diarynote.jp/?day=20091225)。



・・・それはさておき、二人の子供たちが成人した今となっては、クリスマスと言ってもチキンをかじってケーキを食べるぐらいがせいぜい。

それが「ツマンナイ~、なんかツマンナイ~」と言う娘の発案で、今年は家族でプレゼント交換をしました。

予算は一人当たり1000円。
昨日急に決まったので、近所の百貨店ぐらいしか買い物に行けるところがなくて「デパートで1000円ってキツくない?」と言いながら行きました。
1階のエレベータ前で「1時間後にここに集合ね」と一旦解散。

何もなかったらデパ地下でお菓子の詰め合わせだな、とか思いながら1階から各階を回ってみると、意外とあるもんですな。結構いろいろあって迷いました。
ただ、そうは言っても目のつくものは誰もが同じなんじゃないか・・という心配もあり、まあ大人特権で、私は少し予算オーバー目なものを選択。

今日も今日とてダンナは出勤で帰りが9時過ぎになるとのことだったので、7時までに支度を済ませてあとは全日本フィギュアを堪能、ちょうど終わったころからパーティー(というほどのものでもないけど)開始となりました。

私がいただいたプレゼントは、ダンナからは手袋と室内履きのセット、娘からは「年賀状に使ってね」とスタンプセット、息子からは「絶対おもしろいから積ん読するなよ」と「四畳半神話体系」の文庫本。
こういうプレゼントはいいですね。一瞬でも、選ぶときに相手を想うじゃないですか。その気持ちが、嬉しい。なんか、家族でも、そういうことを実感できるのは嬉しいなぁ~と。

なんだか、もしかしたら今までで一番楽しいクリスマスだったかもしれません。
東京、3日目。

娘は今日から研修開始です。
新しい事に向かう時、「どんなだろう~、わくわく♪」となる私と正反対の性格の娘は、こっちに来てから呪文のように「不安だ」と繰り返し、日に日に溜息の数も増え、昨晩は「寝たら明日になるから寝たくない」とまで言う始末。
今朝は「おめでとう~」「がんばれ~」という家族の声援むなしく、「ドナドナ」な雰囲気で家を出て行きました。

入社式を挟んで1週間、合宿研修とのことで、週末どんな顔で帰ってくるか、どんな話が聞けるか、私は楽しみなんだけどね。
さすがに「もう辞める!」と泣きながらってことはないと思うので。
(その辺のプライドは高い(^_^;))

で、娘が出て行った後は、今度は息子ですよ、も~、まったく。

バイト探しの日々で、今日も面接。
私たちが上京する前の最後の連絡のときに「もうスーツ着てくことにするから持ってきて」と言うので、成人式のときのスーツと革靴持ってきました。

私みたいなおばさんの感覚では「アルバイトの面接にスーツ?(@_@;)」と思ったんだけど、今はスーツなんですね・・・もうビックリ。
まあ、服装だけで落とされてるわけでもないんだろうけど、本人も思いつく限りのことをせねばと思ったのでしょう。

面接は昼からとのことで、朝から念入りに支度してたのはいいんだけど、男性のスーツには「ネクタイ」っていうものが必須ですわね。
成人式ときに一度、父親が教えているんですが、頭も体も不器用な息子ちゃんにそんな一度っきりの教えが残っているはずもなく。

うっかりしてました・・・おばばも私も、ネクタイの結び方がわからんのです。

息子「あと10分で出ないと間に合わない(泣)」

(なんで昨日のうちに調べておかないんだぁ!)と言いたいのをぐっと飲み込み、ネットで調べて「えーっと、細いほうを短くして・・・こうやって巻いて・・・ここに通して・・・あれえぇぇーーー?なんでえぇぇ~(泣)」

もー、久しぶりにパニくりました。

なんとか遅刻しないようには送り出されたけど、ダメだろうね、こんなんじゃ。

とにかくこっちにいる間にネクタイの結び方、マスターさせにゃ。
明日からしばらく、東京です。

息子は2月初めから私の実家に移っていたのですが、いまだにバイトが見つからず。
電話の様子など、かなり(精神的に)切羽詰まった感が出てきてます。

そこへ、4月から会社員になる娘と、二人と一人(おばばのことね)をほっとけない、しかしながらいまだ不眠症継続中の私が乗り込んで行くわけで…

バイトが決まらないことに悩む息子のグチと、社会人になる不安におののいてる娘と、そんなことには無頓着にはしゃいでるおばば…

いまだかつて、こんなにも「どうなることやら 」と思いながら上京することはなかった気がします。

向こうに行ったら、学生時代の友人たちに会ったりしようなんて、以前は考えてましたが、今はとてもそんな気になれず。

ただし、地方にはいつ来るかわかんないような映画は、今からいくつか目を付けております。

と言うわけで、楽しみが無いわけでもない、久し振りの里帰り。

いや、でもホントにどうなることやら。

いろんなことが良い方向に 落ち着いてくれますように。
本日は休日。
満を持して、朝から銀行に行ってきました。
何をしに行ったかと言えば・・・娘の大学の、最後の学費の納入に行ったのです。

思えば、「学費ちゃんと払っていけるかしら・・・」と思いながら私立中学に入れてからは、ダンナのボーナスはまず学費分を取ってから、うまいこと残ればそれをやりくりする日々。
途中、夫と私の両方の父親のがん闘病と死、息子の2か月の入院と2度の大手術、という山があったもののとにかく借金することなくやってこれたのは、その都度、周りの人たちの理解と援けに支えられたからこそと、家族や職場の方々に深く感謝する気持ちでいっぱいです。

そしてまた「金は天下の回りもの」とはよく言ったもので、不思議なことに「大丈夫かな・・・」と思う時には何かしらの臨時収入があったり、私の転職が上手く行ったり、そして大学に入った時には学費もそれまでの2倍以上になったので、その時もホントに「今度こそやってけるのか・・・?!」と思ったのに、ダンナの収入が追いついてくれて、貯蓄こそそれほどできませんでしたが、生活面においてはなんとかかんとか、少なくとも子どもたちに不自由を感じさせない程度にはやってこれたというのが、なにかもう奇跡のようにすら思えます。

さて、これで娘に関しては本当に子育てという時期は終了なんだな・・・と、一抹の寂しさと同時に安堵感も感じています。
そして、来年4月に社会人になったら私たちの母子の関係も今までとは少し違ったものになるんだろうな、という楽しみも。

それでも、まだまだ「初体験」がいっぱい待っている人生、何かあった時にはどんと構えて受け止めてやれる「親」でいなければ。
身体も頭も下降線気味ですが、そんなことに甘んじていてはいけないわ!

息子の方がまだまだ私たちを悩ましてくれることも、それもまた親の幸せ。
ゆっくりでいいし、回り道でいいから、終わりよければすべてよし、な人生になりますように。
夫が、足が痛いと言いだして約1か月。

前回、そのことを日記に書いたのが、見直してみたら4月7日だった。
その頃からもう足を引きずってたんだ・・・

その後、どんどん悪くなり、先週末には、「とても外を歩ける状態では・・・(汗)」というほどになってしまい、さすがに自分から「今日は仕事を休む」「もう一度病院に行く」と言いだした。

会社でも「いったいどうしたんですか!?」と言われることが増え、知り合いから評判が良いと言われる病院を紹介されて行き、レントゲンではわからないのでとMRI検査を受けた結果・・・

大腿骨頭壊死の疑い

とのことで、精密検査のための大学病院を紹介された。

さっそくネットで調べてみると・・・・・

原因は、断定できないものの、大酒飲みに多いらしい・・・(-_-;)
まあ、死に至る病、というわけでもなさそうなので少し安心したけれど、MRIでもまだはっきりわからない程度なのにこんなに痛いのでは、手術、とかいうことにもなるんではないの?と思ったりして。

それにしても、治ることもない疾患なので、今後あまりたくさん歩いたりしてはいけない生活になっていくのかと思うと、なんだかちょっと寂しいじゃん。

老後の暮らしになったときに、二人で旅行してまわったり、散歩したりしてすごすってことが、あんまりできないんじゃない?

本人も落ち込んでます。
動き回っていろんな人に会うのが仕事みたいなもんで、その仕事が大好きで、その仕事仲間と飲むのも大大大好きな人だから、動いちゃいけない、お酒もダメと言われれば、そりゃ、落ち込むわな・・・。

とにかく、まだそれで決まり、ということでもないので、GWはお酒抜きの清い生活をして、休み明けの検査を待ちましょうね、あなた。
ささやかな(秘密の)決心
今月の山場、8連勤も明日で終わり。
残業も終わったし、連休まであと1日のところでなんだかほっとしてしまい、帰りにデパ地下でRF1のサラダを贅沢に300g買って帰ってきた。

今夜のメニューは冷しゃぶで、冷しゃぶの時は大体、もやしとにらをゆでるか炒めるかしたものと一緒に食べる。実は今日もそうしようと思って、もやしを買うためにデパ地下に入ったのだったが・・・。

今年はダンナのボーナスも結構よかったし・・・
私も最近ちょっと頑張ってるし・・・
今年の夏も、どこに遊びに行く予定もないし・・・
もやしとニラなら500円玉でおつりがくるところだけど、いいよね、たまに、ちょっとほっとした時の贅沢ぐらい・・・と、頭の中でぐるぐると言い訳した後、1200円出してサラダ300g買った。

今夜はこれに、ゆで卵とトマトを添えて、冷しゃぶをたくさん作って、ビール開けて、もりもり食べよう!

実は「旅行積立」を始めた。と言っても、銀行のそういうのをやってるわけではなく、まあ言ってみれば「へそくり」。
来年は娘が大学4年生、余程のことがなければ来年が終わる頃にはおそらく、おそらく就職先がどっか決まっているだろう・・・ということで、卒業までのどこかで絶対家族旅行にいくのだ!と(勝手に)決心した。
別に海外じゃなくてもいい。というより、私としてはディズニーリゾート(日本の)でいい。でも家族がもっと別のところがいいと言えば別のところでもいい。
とにかく、どっか行きたい、行きたい、行きたいよぉ〜〜〜!
年間通して、遠出と言えば私かダンナの実家っていうのはもうほとほとイヤになった。

だって、子供たちが社会に出ちゃったらもう、おそらく家族で旅行なんて今よりもっともっと難しくなる。
ホントは、来年の終わりや再来年なんて、もうすでに難しいかもしれないけど、そうじゃなくても、うちは今までホントに休みの日にどこかに出かけるっていうことの少ない家族だったから。
ダンナも連れて本気で家族旅行に行こうと思ったら、もう今から準備しても遅いくらいだ。

5月の初めにダンナの田舎に行った後、こないだの日曜日(13日)まで丸々2ヶ月強、ダンナは1日も休みがありませんでした。
どぉゆうことよ?
私は妻として、「お仕事大変ね」って労わるべきなんでしょうか。
初めのうちは・・・今週も、また今週も休みないの?っていうあたりは一応心配もしたし労わってもいましたよ。
でもねえ。
そのうち「オタクの会社はみんなそんな風に休み無しで働いてるんか?」と思ってくるじゃないですか。
しかも、夜は遅い。飲んだくれて午前様もしょっちゅう。間取りの事情でWベッドで寝てる私は、部屋が酒臭さで充満して臭くて目が覚めてしまうこともしばしば。
朝は私が出勤の頃はまだ大いびきで、話したいこと、相談したいこと、いろいろあってもそんなことをゆっくり話す時間など皆無で。
で、結局こないだの休みの日も、私は出勤だったのですれ違い生活継続中。

働いただけ入ってくるんならねえ。私だってもう少し、いやもっともっと労わるよ。
だけど、役職の肩書きと引き換えに、もうどれだけ働いても残業代も休日出勤代も何も出ないのですから。

それに、お金の問題じゃない。
休まないっていうのは、結局本人の問題だと思うのだ。
結局本人がだらしないだけだと。
けじめをつけた働き方ができない。それだけの話でしょう。
趣味と仕事をごっちゃにしちゃって、家庭での仕事を放棄してるだけでしょう。

まあとにかく、娘が就職しようと、息子のバイトがなかなか決まらなかろうと、私の仕事があと1年半だろうと、まったく関係ない我が家のダンナサマであるので、日ごろから何度も何度も耳元でささやいて「娘の卒業前には家族旅行」って意識に刷り込んでいかなくちゃ。
えーと。

はじめっから結婚や子供に否定的な人のことはさておいて、それらを望んでいてもしにくい状況にある今の社会は、不健全なんじゃない?と思うのです。

自らの意志で独身を選んだ人たちが過剰に反応することはないんじゃないかと。

そんで、先日の国会での野党の騒ぎ方は、大臣下ろしのための茶番にしか見えなかったので、ちょっと毒吐きたくなったんです。

ただ、「自分の人生の妨げになるから子供はいらない」ということを堂々と表明する人たちには、反感を覚えます。
これは親としての本能的な嫌悪かもしれません。
自分のことを多少なりとも犠牲にして育児する「親」のことも、親に犠牲を強いる存在の「子」も、両方ともが否定されてるような不快感があります。いろいろな理由で「やむを得ず」子供を持たない選択をすることはあっても、「自分の人生が阻害されるから」と言う理由で子供を否定して欲しくないです。
だって、あなたにも子供時代があったでしょう?育ててくれる人がいたからここまで生きて来れたんでしょう?
そんなことを問いかけてみたい気持ちになります。

それから。

まあ、私は今は確かに割と幸せです。
でも、結婚してからずーーーーっと幸せだったわけじゃないからね。
結婚したってしなくたって、生きてれば人生は続く。いろんなことがあるのは独身者も既婚者も同じなの。
結婚なんて特別なことじゃないんですヨ。たんなる人生の節目。
女だったら生理がくるとか男だったら声変わりするとか、二十歳になったら成人式だ、とか。
過ぎてしまえばその程度です。

2月10日の日記の前半部分についてご意見いただいていたので(昨日まで気がつかなかった^^;)、ちょっと書いてみました。
今日は息子の当番です。

結構嫌がらずにやってくれてます。

材料費を節約できたらおつりはお駄賃よっていうのが効いたらしい・・・。

こういうことをさせてみると、性格がよくわかる。

娘は要領よく、なるべく家にある材料を使って、買物は最小限にして。(材料費を全く使わないで丸々お財布にってのはダメよと、それだけ条件にしてあるので)「知恵と工夫でいかにたくさんお駄賃をせしめるか」が彼女の主旨。
なので料理もわりとシンプルで、イタリア〜ンに凝ってる彼女の作るのはスパゲティとスープとかリゾットとサラダとかそういうものが多いんだけど、ただ、美味いんだな、これが。
私には出せない味、を出すのは、わが娘ながら感服します。

息子は、「お駄賃も欲しいけど、基本は押さえたい」不器用タイプ。
手の込んだものは作れないけど一応、主菜、副菜、汁物、とそろえる。そのためには多少材料費がかかってもしかたがないや、と買物にも行く。
肉が黒こげだったりするけど。
量が少なかったりもするけど。
油を怖がって肉を放り込んだら、ハネてヤケドするんだなーということもお勉強したり。

今日は焼き鳥丼を作ってくれました。
副菜はほうれん草のバター炒め。そしてお味噌汁。

おいしかったよ♪

ごちそうさまでした。
なんだか最近、賑やかな音楽があんまり聴けなくて、クラシックばっかり聴いてる。

最近はラヴェルとかドビッシーとか、フランスの印象派?の音楽が心に優しい・・・

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4月から大学生になった娘は、毎日鬼のように勉強している。
予習〜課題〜試験勉強、のくり返し。
大きなバッグに教科書やら辞書やらを一杯詰め込んで学校に通っている。
大学生活用に結構丈夫だと思って買った布製のバッグがもうヘタって来ていて、「新しいのが欲しい」と言うもののゆっくり買いに行くヒマもない。
これが今の大学生の一般的な姿なのだろうか?
自分の頃を考えると信じられないような変わりようだ。
だって、私なんて、大学入ってからはほとんど勉強したっていう記憶がないもん・・・・・
勉強道具だって、ブックバンドでくくれる程度のものしか持って行ってなかったし・・・。

だから、最初の頃は娘が不器用で要領が悪いだけだと思って、「もっと手を抜けるところは抜いて、学生生活を楽しみなさいよ」なんて親としてあるまじきようなことを言っていたのだが・・。

3ヶ月が過ぎて、落ちついて娘の様子を見てみれば、そんなハードな生活を苦にしてる様子もなく。
今までの学校の勉強と違って好きな分野に関わる講義が多いから、案外楽しんでいるらしい。
流行のファッションなどには全く興味がないながらも、毎日着ていくものを選んだり、ちょっとしたアクセサリーを欲しがるようになってきたり、なにより驚きなのは、お弁当を自分で作っていくようになったこと・・・。

なんだかもうすっかり手が離れてきてしまっているようで、実は少し寂しい母だったりする。

でも!

私にはまだ息子がいる!
(なーんてのは良くないのは重々承知ですが)

・・・ところがこの息子がまた。
いろいろ考え始めていて、今までみたいに「かわゆいボクちゃん」というわけには行かなくなってきてしまった。
(当たり前なのも、そうでないと困るのもわかってはいるんだけど)

そして最近になってびっくりすることを言い出した。

「自分が漢字が書けないのは“障害”ではない。ただ“ものすごく苦手”なだけだ」

これには本当に驚いた。
何が彼をそうさせたのか。

でも、親としてはこう言うしかない。

「ほー、そうかい。
自分でそう思い定めたなら、いいんだよ、それで。
でも、それなら努力しなくちゃならないよ。
“苦手”を“得意”にする必要はないけれど、最低限必要なレベルにまでは克服しなくちゃならないよ。」

私の見解では、やはり息子は空間認知障害による書字表出障害があると思う。
最近読んだLDの本からも、やはりそう思った。
だけど、本人がそうではないと思うなら、やれるだけの努力をしてみたらいいと思う。
本人がそういう気持ちで自分の困難に立ち向かうことは、なにより大事なことだと思うから。
やるだけやって、挫折するもよし、クリアできれば直良し。
何があっても、ちゃん見ていてあげるから。


というわけで、息子も親の元から一歩踏み出した感があり・・・

最近の私のメランコリーはそんなことから来てるのかもしれないのでありました。
★凛さん、はちみつさんに秘密。


ようやく、息子の入学式。
といっても、普通の学校のような儀式ばったものではなく、小1時間ほどでさらっと。
来週からぼちぼちスクーリングも始まるけど、本格的に授業が始まるのはGW明けから。
そして、スクーリングが始まっても授業は週3日だし、それも午前中だけだったり、午後からだったりするので、時間はたっぷりある。
さ〜て、その時間をどう使おうか、息子よ。
なんか、わくわくするよね〜、いろんなことができるじゃん?

と夕食時に話してたら、ダンナから「お前が決めるな、本人に考えさせろ」と。
そりゃそうだ。私だってそのつもりだ。
だけど、15歳に一から考えさせろっていうつもり?
私は、それは無理があるんじゃないかと思うんだけど。
選択肢ぐらい提示してやってもいいんじゃない?
「ママたちはどう思う?」って意見を求められたら、「私はこういう理由でこう思う」って言っちゃダメなの?それってアドバイスってことにはならないの?

最近ダンナは急に、ホントに唐突に、私に対して
「お前が1から10まで決めてやるから、アイツがいつまでたっても成長しないんだ」と言い出した。
私は決して息子の1から10まで決めて手取り足取りしてやってるつもりはない。むしろ同年代の母子としては、ほったらかしの部分が多いと思っている。
だけど、私が息子の生活に関して「こうしてみたらどう?」「あんなのはどう?」と提案すること、そして息子がそれに促されて動くこと、が、私の甘やかしであり息子の甘えだと映るようだ。

要するに、ダンナは息子に、「自ら探し出して」欲しいのだろうと思う。
気持ちはわからないでもないんだけど。

でもダンナの場合、その気持ちが「人の意見にダメ出しはするけど、代替案を出すことはない」という結果を生んでしまう。
子供にしてみれば、父親と話をすると自分の意見が否定されるばかりになる。
「じゃあ、パパはどうしたらいいと思うの?」と問い返せば「それは自分で考えろ」ということになる。
それはやっぱり、子供たちにしてみたら理解も納得もできないでしょ。

こういうのってやっぱり、その人の育った環境がすごく影響するんだなーと痛感する。
地方の古い慣習の残る土地で生まれ育ったダンナには、大人と子供が対等に話をする、ということが身に付いていないのだ。
父親を敬えとかそんな風に威張り散らすような性格ではないので、普段は子供に言いたい放題言わせてるけれども、ちゃんとした話し合いをしようとすると、対等な意見交換ができない。
自分の価値観に照らして合致しない部分を否定するだけになる。
「そうじゃなくて、オレはこう思うんだ」「そうじゃなんて、オレはこうしてみたらどうかと思うんだ」という気持ちの後半部分が言葉にならないのだ。
と私自身がそう思えるようになったのもやっと最近のことだったりするんだけど。
ま、典型的な「昔のお父さん」になっちゃってるってことだ。

だから。

やっぱり私が、良くも悪くも口うるさいお母さんになるしかないでしょ。
アナタが言葉に出来ない分、私が言うしかないでしょ?

その辺りだけは、わかって欲しいと思うんだけどなー。

ただ救いなのは、仕事仕事の父親の背中を、子供たちは案外ちゃんと見てるらしい、と思えること。
父親の不器用な性格を、案外ちゃんと見抜いているらしい、と思えること。
今それが出来てたら、子供たちがホントに大人になったときには父親のことをちゃんと理解できるかもしれないな。
反対に私が批判されたりして・・・。「考えてみればいい加減な母親だったよなー」とか・・・言われそう・・・・・
我が家には10歳になるセキセイインコがいます。
最近この子の具合がよくありません。
そもそももうだいぶおばあちゃんなのですが、今年に入ってから「二歩下がっては一歩進む」な感じでじわじわと弱ってきました。

雛から育てて一応「手乗り」なのですが、若い頃は「凶暴」のレッテルを貼られて家族からも敬遠されてたりした、なかなか気の強い女の子でした。
名前を呼ぶと「ピョロリ!」元気に返事をし、乱暴な扱いをされると「ジジジッッ!!」と怒る、かわいい子でした。
それが最近はめっきり甘ったれになって、私たちに寄ってくるようになりました。

足が弱ってしまって、もう止まり木に止まれません。それで娘がティッシュボックスなどに穴をあけたものをケージの上に重ねて置いて、今はそれがお家になっています。
それでも少し前までは、お腹がすくと箱から出てきて、ケージの網目を伝ってケージ中にご飯を食べに行っていたのですが、最近はもうケージの網目にしがみつく力もなくなってきてしまったので、箱の入り口あたりにエサと水を置いています。

ケージはリビングにおいてあり、人の気配がすると這い出てきます。
少し前までは自分から人間のところに飛んできてました。
それが、だんだん飛びきれずに床に落ちてしまうようになり・・。
でもまだ、床に落ちても「ピヨ、ピヨ」と独特の鳴き声で私たちを呼んでいたのですが・・。
最近は飛べなくなりました。鳴き声もめったに出ません。
ただ、人の気配がすると箱から這い出てきて、必死にこちらに来ようともがきケージから落ちたりするので、人がリビングにいるときは誰かしらがこの子を抱いているようになっています。

多分もう、体温調節がうまく行かなくなっているみたいで、いつも寒そうに膨らんでいます。
手のひらに乗せてもう片方の手で包むようにしてやったり、寝転んで鎖骨の辺りに乗せて上からハンカチなどをかけてやったり、座ってるときのY字になる股のくぼみにハンカチをしいてそこに置き、上からハンカチをかけてやったりすると、安心したように目をつぶってうとうとします。

足が弱っていつも床にお腹をつけたような状態になってしまっていて、その状態でゆるい便をするので気をつけていないと肛門のあたりにこぴりついてガビガビになってしまいます。
娘がそれをよく拭いてやっています。

まだ、エサを食べる力があるので、もう少しの間は大丈夫でしょうが、年内持つかどうか・・。
いろいろと不安定な部分を持つ娘の安定剤的な存在でもある子なので、そうなったときの娘のことを考えるとそれも辛いです。

病院では「もう寿命で、できることはない」と言われてしまっているので、家で少しでも穏やかな安らかな日々を過ごさせてやりたいと思います。
子供たちのお誕生日のお祝いをした。
うちの子供たちの誕生日は3日違いなので、いつも一緒にするのだ。
娘は17歳、息子は15歳。

17歳という年齢は、自分自身が後々(自分の中で時が止まった)と感じた年だ。
17を過ぎてからは、18になっても20になってもその数字が“今の自分”としっくりしなくて、(中身はいつまでたっても17歳ぐらいの感じだなあ)と思ったものだ。
それから2倍プラス10年の年月を経た今でも、自分の中の若い部分(子供っぽい部分)は“20歳”より“17歳”のほうがしっくりする気がする。
ガンダムSEEDに夢中になったり、ヨシイロビンソンにときめいたりするのは、17歳の私だ。
今17歳になった娘は自分をどんな風に感じているのだろう。
おしゃれにも生身の男の子にもまだまだ興味がなくて、端から見てると自分の中身を作るのに手一杯で外見までかまってられないって感じがする。なんというか、まだ「閉じている」感じ。「さなぎ」な感じ。「固いつぼみ」な感じ。
中身が出来上がってきたら、「さなぎが蝶にかえるように」「花が開くように」ぱぁーっと女性らしくなるのかしら。
もう3ヶ月ぐらい美容院にいってなくて髪が伸ばし放題で、パパから「平家の落ち武者みたいだぞ」などと言われていても、ふとしたときの表情がすごく女の子っぽくなってきて、これから一番美しい時を迎えるのだと実感する。
あんまり何にも考えてないみたいだけど(^_^;)、どうかその「花の時期」を無駄にしないで欲しいと切に願う母である。

息子はすこーし目覚めはじめてきたお年頃。
あの大手術が1年前で良かったとしみじみ思う。
丸2ヶ月ベッドに寝たきりだった。
手術前には浣腸や剃毛があり、手術後のトイレは当然、小も大もベッドの上。
看護婦さんはおばちゃんばかりではないし。
もっと先の思春期にこういう経験をすることになったら辛いだろうなあと思ったものだった。
時々、「オレ、彼女ができない気がする」とか「結婚は・・」とかいう話になる。娘より息子の方が、そういう話をしたがる。
数日前にも娘と3人でそんな話になり、「将来のためとか生活のためとかそんな理由で結婚するのは嫌だよねー」などと姉弟で言い合っているので、「結婚は好きな人が出来て、その人とずーっと一緒にいたいって思うことがベースじゃないかと思うよ」と言ったら

娘「じゃあ、ママはパパとずーっと一緒にいたいと思ったわけ?」
私「そーだよ」
娘・息子「・・・・・」
息子「わかったよ!結婚って要するに、一種の洗脳なんだ!」

こんな風に息子は、あんまり考えなくてもいいことまでいろいろ考えて、自分なりに答えを出そうとする子。
ごちゃごちゃしたことはあんまり考えない娘とはいいコンビで、最近は富に仲がいいようだ。
友達同士のやりとりもすごく男くさくなってきて、側で見てるとハラハラするが、それが「通じ合ってる」ということらしい。

多少の山や谷は人生勉強として必要だけど、二人とも、自分の良いところまでなくしてしまうような不幸にはどうぞ会いません様に。
親の手助けがだんだん要らなくなってくるのは少し寂しいけど、大人同士の付き合いが出来るようになりつつあるのは楽しみだ。
お盆で実家に行く。
車で525キロの道のり。
以前は夜中に走っていたが、最近は暗くなると目が見えにくいので、早起きして朝から走る。
空いてるし景色もいいので、この方が気持ちはよい。

朝5時半に家を出て、途中2回休憩して、12時半ごろ着いた。

すでに親戚が集まって宴会が始まっている。
そこに私も加わって夕方まで、楽しいひと時をすごした。 

今年は秋に父の3回忌法要があるのだが、私は中学のPTAをやってる関係でそれには出られそうもない。
なにせ、ちょうど同じ日に中学でバザーがあるのだ。
バザーといえばPTAの一大イベント。
「父の三回忌」などと言っても、ばっくれの口実としか思ってもらえないであろう。
そんなことであとあと暮らしにくくなるのも嫌だし。
だからバザーが終わったあとの休日に、ゆっくりした気分で墓参りに行こうと思っている。
お父さん、わかってくれるよね。

親戚はいいな。
距離を置いてるからそう思えるんだろうけど、私のことを生まれたときから知ってる人たちばかりなので、今更自分を飾る必要も無くとても楽なのだ。
父方の親戚はみな、くったくの無い人たちばかりで、話も面白い。
久し振りにシワが増えるほど笑って楽しかった。

そして明日は歌舞伎。
あ〜、わくわくする♪
DVD 松竹 2003/06/25 ¥3,990

今月は母と歌舞伎座で「桜姫東文章」を観る予定である。
歌舞伎は高校生のときに人からいただいた招待券で初めて見て以来、20歳〜24歳ぐらいまで夢中だった。その知り合いのお陰で結構人気の公演でもチケット購入が簡単だったこともある。
そして母が、子供の頃には花街に憧れ、若い頃には三味線や踊りなど習っていたという流れで歌舞伎好きだったこともあって、二人でよく観に行った。
今からかれこれ20数年も前だ。
孝玉(現・仁左衛門と玉三郎)の全盛期から児太郎(現・福助)か昇り竜の勢いだった頃にかけて。
先代辰之助も元気で、この人の世話物が大好きだったなあ。

あの頃見た中でも強烈に印象に残っているもののひとつが鶴屋南北の「桜姫東文章」だ。
孝玉の全盛期の、宇宙100億年の歴史の中でもあの一瞬にしか咲かなかった美しい華(優れた舞台というのはそういうものだと思っている)。
それが20年ぶりに上演されるという。
今回は仁左衛門ではないけれど、玉三郎だ。
これは観に行きたい!
ちょっとヘソクリ使っちゃおう、と決心して、現在、新生・海老蔵にハマリ中の母を誘った。

20年前、2度観ている。1度は京都南座で。2度目は歌舞伎座で。京都は1人だったが(なぜならダンナと遠距離恋愛中だったから♪)、歌舞伎座は母と行った・・・はず。
なのに・・・。
母は「桜姫は観たことない」と言うではないか。
「そんなはずないよ、京都はともかく、東京では行ってるはずだよー」と力説する私に「そうだっけー・・・?」

しかもだ。
歌舞伎座の特等席(前から7,8列目のど真ん中)で観て、「玉三郎の揚巻と目が合ったよ!」と大騒ぎした、孝玉の「助六」も「行ったっけ・・・?」などと言う。

おかーさーん、たのむよー。
今年は6回目の年女かもしれないけど、まだまだボケるにゃ早いよー。

もしかしたら私の方の記憶違いなんだろうか?
いやいやそんなことはありえない。
あの頃の歌舞伎友達といえば母しかしなかったのだから。

でも、そうやって思い出してみると、一緒に観劇に行っても途中で“こっくり”してることがよくあったかもしれない。
そういえば、朝早いパートに行ってたっけ。で、帰ってきてから商店をやってる父を手伝って。
私も、今の私の子供たちみたいに「家事は主婦の仕事でしょ」なんて思って、食事の後片付けも自分の下着の洗濯も、なんにもしてなかった。
私は若さのパワーで日曜日に出かけることなんてなんともなかったけど、母は疲れていたのかもしれないなあ。
覚えていなくても仕方ないのかもしれない。

でも今度はきっと、楽しんでくれるのではないかと思う。
父がいなくなっちゃって寂しくなっちゃった反面、誰にも気兼ねなく芝居を見に行けるようになったって、それはとても嬉しそうで楽しそうだから。
時々「私1人でこんなに遊びほうけてていいのかしら・・」などと落ち込んでるが、いいんじゃない?永らえたものの特権だと思って。

歌舞伎を観に行くことも、母と二人で出かけることも、私にとってもとても久ぶりのこと。
今月はこのほかに、子供たちと「レ・ミゼラブルコンサート」にも行くし、28日には吉井の新曲も出る。

実は今月でまたひとつ歳をとってしまうのだが、こんなにてんこ盛りの楽しみが待っているというのは、神様からの誕生日プレゼントなのかもしれない、うん。せいぜい謙虚に暮らさねば。
BGM-YOSHII LOVINSON“AT THE BLACK HOLE”
画像はもういいかとも思ったけど、このジャケットが好きなのでしつこくアップ。

LOVINSONになってからの吉井は、なるべく聴かないようにしているのだが・・・。
今日はさっきイエローモンキー時代のライブビデオも観てしまったし、新しいヘッドホンのお試しに、やっぱりこれを選んでしまった。

しかし“BLACK HOLE”とはよく言ったもんだ・・・。
本人、確信犯なのかどうかわからないが、本当にこの人の曲は聴けば聴くほど深みにはまってしまうので、加減を考えながら聴いていかないとならない。
イエローモンキーの時には見事にその泥沼にはまり込んでしまってしんどかったので、LOVINSONになってからのこのアルバムはせいぜい月に1回程度の感じで聴いているが、たまに聴くからまた効き具合が強烈だったりして、どうもこの人は悩ましい人である。

さて、今日の日曜日。パパの日であったが、うちの子供たちはパパを嫌っているので特になんのイベントもなし。
本人もそれを気にしてる風もないので、夕食にパパのリクエストで焼肉をした程度で終了。

しかし、私の目から見ると子供たちは口で言うほどパパを嫌っているようには見えないんだよなあ。
むしろ、尊敬すらしているようにも感じられるときもある。
でも、自分たちではそれを認めたくないみたい。
「パパなんて」と言いたいみたい。
どういう心理なんだろう。
私は、父親のことが大好きですごく尊敬もしていて、大学生ぐらいまではよくデートもしてたから、その辺の心理はよくわからん。

そういえば昨日はドリエルの力を借りるまでもなく順調に眠くなって、妙な夢も見ずに良く眠れた。
なんか安定してる?最近の私。
明日からの1週間も、つつがなくすごせますように。

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